2015/12/06 谷保天満宮旧車祭 (1/2)

毎度おなじみのE藤氏が行ってまいりました!

BMW R25/3

Harley-Davidson WL

1945年モデルでしょうか?

これらのバイクのオーナーは下の奇特な催しの参加者だそうです。

ノーハツ(農工用石油発動機)運転会?

なかなか見ることのない集いだと思います。

小谷製石油発動機につながれたミノル式稲麦扱機親玉号

本来、「親玉号」は足踏み式脱穀機なのですが、ノーハツを動力とするよう改造されています。

余談ですが、「親玉号」を作った「細王舎」は、編者の地元で創業されたメーカーなので、詳細をご紹介させていただきます。「細王舎 創業之碑 細王舎小史」より

 『「細王舎」なる名称は, 創業者箕輪政次郎翁夫妻出生の地たる, 生田村細山と柿生村王禅寺両地の字に由来し, 亦細より出て王にいたるを念ずるに由来するという。(中略)その後を襲った先代箕輪亥作も創業の精神そのままに一意農村の為なる信念をもって機械の発明に没頭しその蘊蓄を傾注して大正初年ミノル式稲麦扱機親玉号, 大正式廻転桑刻機その他数種の発明を完成した。これらの新製品は, 発売されるやたちまちにして全国津々浦々まで普及し, 各地博覧会, 共進会等に於ていづれも最高賞を授与された。(中略)業界再編成の動きが活発化する潮流の中で細王舎も, 昭和35年12月に(株)小松製作所と業務を提携し, さらに昭和43年12月に社名を小松部品(株)と変更した。(中略)昭和54年10月1日に同じ小松製作所系列のゼノア(株)と合併し, 新生「小松ゼノア(株)」という証券取引所第1部上場企業の有力工場として発展の道を邁進せんとしている。』

小松ゼノアは、ハスクバーナに買収され、現在は「ハスクバーナ・ゼノア(株)」となっています。

ヤンマー NK3 (昭和30年)

小さなものから大きなものまで 動かす力だヤンマーディーゼル

野田式軽油発動機 (昭和20年代?)

野田産業は香川県のメーカーで、四国のノーハツ界じゃあ、ちょっとした顔だそうです。

クボタ農工用石油発動機 2D型 (昭和24年)

クボタ農工用石油発動機 AHC型

AHC型だと思うのですが・・・

クボタ農工用石油発動機 BH型

BH型だと思うのですが・・・

エコノミー?

Made in USA !!

石油発動機とつながれたサンヨー(山陽)製縄機

昔話なんかで、冬季の農家の副業として稲藁で縄をなうシーンが出てくるのを思い出しましたが、これはもはや産業ですね。

サトー式軽油発動機 (昭和初期)

なんと焼玉エンジンです。上の筒の中に炭火を入れてヘッドを加熱し、燃料(軽油あるいは灯油)を気化せしめます。

ひたすら回しまくるのみ!!

1975 アルピーヌ ルノー A110

シトロエン SM

マセラティ・メラクとエンジンを共有するFFスーパーカー。

1967 FIAT 500F

1969 アウトビアンキ・ビアンキーナ・カブリオレ

戦後、ビアンキの自動車部門が経営不振で本体から切り離され、FIAT傘下のアウトビアンキとなります。ビアンキーナはアウトビアンキ初の生産車(1957年~1970年)で、FIAT 500とエンジン、シャーシを共有しています。

1969 FIAT 124 クーペ Sr.1

一連の124クーペの一番最初のモデルです。

1983 ピニンファリーナ 2000 スパイダー・アズーラ

有名な「124アバルト・ラリー」のベース車両である「124 スパイダー」は、モデル末期の1982年から1985年までは、ボディ製造を行っていた「ピニンファリーナ」のブランド名で発売されました。「アズーラ」はそのモデルバリエーションのひとつです。

1972 FIAT ジャンニーニ 128 ラリー

日本ではアバルト一辺倒で、ジャンニーニはあまり知られていませんが、イタリア本国では FIAT チューナーとしてアバルトと双璧をなす存在です。

そのジャンニーニが、FIAT初のFF車「128」をチューンした一連の「ジャンニーニ 128」のひとつが、この「ジャンニーニ 128 ラリー」です。

1977 FIAT X1/9

ミッドシップの特異性で忘れがちですが、X1/9の型式は128ASで、れっきとした128のスパイダー・バージョンであります。

FIAT X1/9

ベルトーネ X1/9

もともとベルトーネの工場で生産されていた X1/9 でしたが、1982年、FIAT は不採算車であった X1/9 の製造権利をベルトーネに譲渡します。以降、生産終了する1989年まで X1/9 はベルトーネブランドで販売されることになります。

1975-1976 ダラーラX1/9

巨大なウィングと過剰なまでのオーバーフェンダーは、一連のランボルギーニやランチア・ストラトスの開発で著名なジャンパオロ・ダラーラが、X1/9をベースにグループ5・シルエットフォーミュラのレギュレーションに基づき開発したもので、ベース車両とは別物のFRP製ボディとアルミパネル製シャーシを持っていました。

1976dallara
エンジンのチューンも高度で、ヘッドはDOHC 4バルブ化され、機械式フューエル・インジェクションを装備。オイル循環はドライサンプとなっています。1.3Lの前期型が10台、1.6Lの後期型が20台、計30台ほど生産されたとされていますが、少なくとも18台の出荷が確認されています。

そのダラーラのレプリカと思われます。(ホンモノでしたらスイマセン)

1973-1975 FIAT アバルト X1/9

以前のエントリでも解説いたしましたが、アバルトがWRC参戦車両としてX1/9ベースで開発を開始、6台くらい作ったところで、FIATとランチアのラリーチームが統合され、キャラがストラトスと重なるためお蔵入りとなった車両のレプリカです。(ホンモノでしたらスイマセン)

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1975 ランチア ベータ モンテカルロ

当初は、X1/9の上級モデルの「フィアット X1/20」として開発されていましたが、より高級なランチアの車として世に出ることになります。X1/9のベルトーネに対し、ベータモンテカルロのデザインと製造はピニンファリーナが担当しています。

1981 ランチア ベータ モンテカルロ

1972 アルファロメオ ジュニア ザガート

1971 アルファロメオ 2000GTV

でいいのかな?こまかいことはわかりません。

1972 アルファロメオ 1300GT ジュニア

1969 アルファロメオ ジュリア 1300TI

アルファロメオ ジュリア TI スーパー

でいいのかな?こまかいことはわかりません。

アルファロメオ 2000 ベルリーナ

1989 アルファロメオ スパイダー Sr.3

アルファロメオ スパイダー Sr.4

1988 ランボルギーニ カウンタック 5000QV

いつ見ても時代を越えた美しさですね。このカウンタックをUSでは、どんな形で乗らなければならないのかをご紹介いたします。US仕様の5マイルバンパーです。目を疑うやっつけぶりです。5マイルバンパーを付けたスーパーカーはいろいろありますが、このカウンタックほど無様なものは他にないでしょう。
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ノーブル P4

英国製ですが、イタリアの枠でご紹介いたします。330P4のレプリカで、いわゆるキットカーの枠に属するものなのですが、完成度はきわめて高い印象です。

ノーブルを主宰する英国人カーデザイナー、「リー・ノーブル」は、オリジナルデザインの高性能GTを製作、販売するのが本業なのですが、何を思ったのか、生涯に実車のレプリカを2種類、フェラーリ330P4(1986年)とロータス23(1987年)を製作しています。その2モデルとも日本のバブル期(1989年頃)に完成車として輸入されています。

キットカーですからエンジンはいろいろ選べたのでしょうが、この車両は(おそらく日本で近年載せ替えたであろう)348用V8を使っているようですね。トランスミッションも348の横置きを流用しているのでしょうか?

1957 デヴィン アルファ フランコーニ

これもアメリカ製ですが、エンジンがアルファロメオ製なのでイタリア枠に入れさせていただきます。

この車、当初、全く特定できませんでしたよ!スタンゲリーニか?シアタか?エンブレムにうっすら見える「F」の文字、これがまたイタ車らしいデザイン。てっきりなにかヒストリーのある車かと思いこんでしまったのが運の尽き。

ようやく判明した車名は、ズバリ「デヴィン アルファ フランコーニ」です。ナンバーにあるとおり、1957年製。「デヴィン」は 50、60年代、カリフォルニアにあまた存在したFRPボディメーカーのひとつ。(カリフォルニアン・ホッドロッドというやつですね)

「アルファ」はアルファロメオ750系エンジン(1290cc 直4)を積んでいるからですが、この手の車はたいてい、手に入りやすいアメリカンV8かVWのフラット4を積んでいるのがお約束。アルファの直4とは本当に珍しいと思います。

さらにエンブレムの「F」に当たる「フランコーニ」ですが、おそらくイタリア系のフランコーニおじさんが製作したのでしょう。(もしかしたら、アメリカ製FRPボディを使ってイタリアで組まれた車両かもしれません)イタリア親父の手にかかると、デヴィンの持つカリフォルニアン・テイストはすっかり消え去り、イタリアン・スポーツカー風味一杯の仕上がりとなったわけです。デヴィン アルファ フランコーニは、1956年から1957年で12台が製造されたそうです。

車名が分かると、このデヴィン・アルファを見た人たちがブログにいろいろ書かれているのも拝見できました・・・が、多くの人が私がしたのと同じ誤解をしている・・・デヴィンがイタリアン・メーカーの車であると!(「アルファにこんな幻の車があったんですね」とか、「1957年製ならミッレミリアに出走できる」(MMの出場資格は1927年から1957年製まで)とか。オーナーが車の素姓をぼやかして展示をしているのが元凶なのでしょう)

車に罪はありません。ここでデヴィンについて、うんちくカマさせていただきます。

カリフォルニア州エルモンテにあった「デヴィン・エンタープライゼズ」は、当時、カリフォルニアに数多存在したFRPボディメーカーの中でも最古参のひとつです。創設者ビル・デヴィンは1954年、自宅の鶏小屋でFRPボディ製造を開始したといいます。

パナールのエンジンを積んだ車が最初の作でした。この「デヴィン・パナール」は、ジェイムズ・オアのドライブによって、1956年の SCCA のクラスH-モディファイドのナショナルチャンピオンの栄誉に輝いています。

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デヴィン・パナールを整備するビル・デヴィン本人。

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チャンプとなったデヴィン・パナールのエンジンには特記すべきチューンが行われていました。パナールの水平対向2気筒のヘッドは、ノートン・マンクス(!!)のものに置き換えられており、さらにそのOHCの駆動には世界初のベルト駆動が採用されていました。

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デヴィン・パナールの完成車はクラスH(750cc以下)向けレーサーとして、$3,000から$4,500の価格設定となっていますが、これはちょうど当時のコルベットの新車($3,872)と同価格帯にありました。(つまりかなり高額であったといえます)

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1960年頃には、サイズ別に27種のボディをそろえ(全て$295)、キットカー製作に必要な各種パーツ、さらには完成車の「デヴィンD」、「デヴィンSS」までをラインアップする全米最大のFRPボディ業者に成長しており、輸出も行っていました。デヴィンのレーサーは1955年から1963年まで SCCA のレースを計136戦を走っており、1位32回、2位8回、3位3回獲得しています。

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下の画像は主力製品である「デヴィン SS」と「デヴィン D」についての広告ですが、興味深い価格への言及があります。1960年式フェラーリ250GT SWBは(コルベットの3倍強の)$12,600 だったのに対し、コルベットのV8を積むデヴィンSSは、$10,000 と、とてつもなく高価だったことが分かります。(ビル・デヴィンがオクラホマ州出身であったことから「オクラホマ平原のエンツオ」と評されたこともあります)

また1960年式 VW TYPE1 は$1,565でしたが、それをドナーとするデヴィンDの完成車は 1,2L 36HP エンジン仕様で $2,950、1.3L 44HP エンジン仕様で $3,150 と約2倍の価格設定。なお、ボディ&シャーシのみで $1,495、VWコンポーネントは $1,495。

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ボディ単体の購入者はドナー車(画像は VW)のフロアパンに自分でパイプを溶接してサブフレームを組むというかなりハードルの高い作業となるのですが・・・

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ボルトオンで組めるようフレームも用意されています。(画像はV8用。ボディ $295、フレーム $595)

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SSは、なぜだか遠く北アイルランドの首都ベルファストで製造されていたとのことです。おそらくキットカーの登録に都合がよい地域なのでしょう。

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フロント・サスペンションはダブルウイッシュボーン。

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リアはドディオンアクスル+インボードブレーキと凝った構成。

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カリフォルニアン・ホッドロッダーが触った場合、放っておけば、こんな感じに仕上がっちゃいます。

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ムーンアイズの伝説的ホットロッド、「ムーンビーム」はデヴィン製ボディがベースです。

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1965 SAAB 96 モンテカルロ

1971 SAAB 99

1972 VOLVO 1800ES

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