兼業MCジャーナリストの冒険 (1) ベルギー編

茶飲み話をブログでおすそ分け

ムルティストラーダ、それも 620 ばかりを乗り継ぐU海さん、愛車はクセモノ感アリアリで、これは絶対何かとんでもないネタをお持ちなんだろうなあ、と思いつつ、店で茶飲み話をしていると・・・

なんと!某建機メーカーのサラリーマンでありながら、海外駐在時には日本のオートバイ雑誌に現地のレースレポートを送っていたというではありませんか!!

そんな面白い話はみんなでシェアすべき。ブログに寄稿をお願いすると快諾いただきました。早速、ご紹介いたしましょう。

U海さんの自己紹介

初めまして。U海と申します。

ドゥカティ歴は2009年から。Multistrada 620 だけを3台乗り継いで、現在 2005年式の Multistrada 620 を乗っています。その他にも何台かバイクを所有していますが、Multistradaが一番年式が新しく唯一のインジェクション車です。

私はこれまで仕事で欧州や米国に駐在したことがあります。昔話になりますがそこでのバイクライフなどをご紹介したいと思います。

ベルギーでモタードを買う

最初のヨーロッパ駐在はベルギーのブリュッセルで、2000年の秋から2003年1月まで駐在しました。

グランプラス@ブリュッセル

ヨーロッパのほとんどの国では、日本の運転免許の書き換えで居住国の免許証が交付されるため、教習所や試験なしに車もバイクも運転できます。

日本に居たころは、モトクロスやエンデューロレースをやっていたので、当時ボリス・シャンボン来日などで盛り上がりつつあったスーパーモタードに興味をもち、赴任最初の週末にバイク屋さんに行き、ハスクバーナのモタードバイクを購入しました。

後ろの建物が当時住んでいたアパート

570cc単気筒でキックペダルは左側、機嫌が悪いときは始動まで何十回もキックペダルを踏み下ろして汗だくになり、バイクを直立させるとサイドスタンドが勝手に跳ね上がる、バランサーがなく振動がひどく、ひとっ走りしてきたら何本かボルトがなくなったり、半日乗ったらオイル交換など、今までの常識が通じないバイクで最初は手こずりましたが、郊外の峠道を走るのにこんなに楽しくバカっ速いバイクはありませんでした。

兼業MCジャーナリストの誕生

週末は、結構あちこちでいろんなレースが開催されていたので、確かベルギー国内選手権だったと思いますが、南部のメテという街にスーパーモタードのレースを観に行きました。手が届きそうなくらいの目の前で、タイヤのスキール音とともにコーナーに突っ込んでいくさまに完全に魅了されました。

当時モタードに力を入れていた日本の某C誌の読者欄にハスクバーナに乗っていることとレースを観に行ったことを投稿したところ、せっかく本場のレースが見れるなら写真撮って記事書かないか?ということになり、そこからモタード漬けの駐在生活が始まりました。

当初は欧州選手権が最高峰でしたが、2002年から世界選手権が始まり、運よくプレスパスも支給され、なんちゃって兼業ジャーナリストとしてシーズン中の週末は月に2~3回、先週はフランス、今週はドイツ、再来週はイタリア、なんて具合にレース観戦三昧でした。いま思い返すとよく本業の合間にあれだけ動けたなぁと思います。まだ若かったので体力あったんですね。

ヨーロッパに取材に来ていた大御所日本人カメラマン達との交流もありました。一眼レフで撮った方が良いといわれてはボーナスでレンズ付きの入門用のを入手。その翌年はデジタル製版になったのでと言われてはデジタル一眼のボディを追加、さらに反応の良いレンズやボディで撮った方がいい写真が撮れるとアドバイスを受け、カメラ沼にもずっぽりハマりました。

珍しい?オフロードセクション

スーパーモタードに入れ込んだ理由

スーパーモタードにここまで入れ込んでしまったのは、もちろんその強烈なライディングとエキサイティングなレース運びもあるんですが、それだけでなくパドックの居心地がとてもよかったことです。

ファクトリーチームは大所帯で整然としているのですが、

プライベーターはメカニックは選手のお父さん、お母さんとガールフレンドが食事とタイムキーパー、弟はパドックの中で自転車でウィリーして遊んでいたり。まるで昔読んだ泉優二氏の「ウィンディ」で描かれていたコンチネンタルサーカスのシーンの中に入り込んだようでした。帰り際に選手やメカニック達から「Cuneoも来るだろ?じゃあまた来週!」なんて声かけられると自分も一員になった気がして、仕事をなんとかやりくりして通っていました。

2002 FIM Supermoto World Championship

2002年は、ヨーロッパ選手権だったスーパーモタードがスーパーモトと名称を変え、世界選手権となった初年度です。ベルギー駐在中は、2002年シーズンを堪能しました。

Rd.1 7/14 Namur ナミュール ベルギー
Rd.2 8/25 Valkenswaard ファルケンスワールト オランダ
Rd.3 9/22 Toulouse トゥールーズ フランス
Rd.4 10/13 Kärntenring ケルンテンリンク オーストリア
Rd.5 10/20 Cuneo クーネオ イタリア
Rd.6 11/ 3 Athína アテネ ギリシャ
Rd.7 11/17 Broadford ブロードフォード オーストラリア

最終戦のオーストラリアは遠くて行けませんでしたが、その他のレースはすべてサーキットまで駆け付けました。

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