2014/11/22 7a COPPA DI TOKYO 2014 (1/2)

恒例E藤氏の画像によるレポートです。

COPPA DI TOKYO とはイタリア語で CUP OF TOKYO(東京杯)の意。タイトルからして洒落てますね。毎年11月23日(勤労感謝の日)に行われている、セレブ感あふれる旧車ミーティングです。参加資格は「1969年までに生産された車両」とのこと。

ただし、今年は処々の都合で、1日早い11月22日に開催されました。(翌年は予定通り11月23日に開催予定とのことです)また例年、おしゃれな汐留西公園をスタートとゴールとしているのですが、今回はスタートのみ晴海ふ頭に移されています。

名前からしてイタリア色の強そうなイベントですので、まずはイタ車からご紹介。

スタンゲリーニ

第二次世界大戦前から1960年代半ばまで存続したモデナのレーシングカー・コンストラクター。FIAT車をベースにしています。車両のみならずDOHCヘッドも自社製作していました。スタンゲリーニは現在でも発祥の地でFIAT代理店として現存しています。

1939 508Cアラドーロ

FIAT 508Cのシャーシにカロッツエリア・アラドーロ製ボディを架装。エンジン、足回りは当然、スタンゲリーニ・チューン。
昭和でいえば14年の作ですよ!ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した年です。

1947 1100Sフルア

戦前モデルのFIAT 1100のシャーシにカロッツエリア・フルア製ボディを架装。エンジン、足回りは当然、スタンゲリーニ・チューン。

1950 フェラーリ 195インテル

1947年に処女作125スポルトを世に出したフェラーリは、続く159、166のレースにおける大活躍で早くも名声を成します。(車名の3ケタの数字は、V12の1気筒あたりの排気量)その勢いで1950年、排気量を2341ccまで拡大した195スポルトを世に出すと、195もレースで成功します。195スポルトのシャーシに著名カロッツェリアが豪華な内外装を架装したツーリングモデルを195インテルと呼びます。

ジョアッキーノ・コロンボが設計した一連のSOHCV12はコロンボ・ユニットと称されます。1947年の125(1500cc)で始まった排気量は1966年までに275(3300cc)まで拡大されます。

スーパーレジェーラとは Super Light の意ですが、この時代においてはボディ製法特許の「スーパーレジェーラ工法」のことを指しています。カロッツエリア・トゥーリングが確立した工法で、細く薄肉な鋼管を張り巡らせて造ったフレームを芯にアルミパネル外板を貼っていくことで、軽量・高剛性のボディシェルが得られるというものです。(この特許は他社にもライセンスされていましたが、エンブレムからこの195インテルのボディは本家トゥーリング製であることがわかります)

1950 シアタ 750スポルトコルサ

トリノのシアタは、戦前からのFIATのチューナーでしたが、戦後、FIATエンジンを積む独自の自動車の製造を始めます。シアタは1970年に破産するも、事業はORSAに引き継がれ、自動車生産は1975年まで存続します。

なお、ドゥカティにクッチョロエンジンの製造ライセンスを供与したシアタ社とは、まさにこのシアタのことです。

ORSA時代はちょっと悲しいクルマ造りだった模様。
orsa01

1948-1957 OSCA MT4

1937年、マセラティ兄弟はオメール・オルシに自分たちの工場を売却すると、その10年後の1947年、再びレーシングカー・コンストラクター、オスカ(O.S.C.A.)を設立します。(マセラティの名前はオルシが購入した工場が名乗る契約)そのオスカも1964年末にMVアグスタに売却されると、1967年には消滅してしまいます。

オスカ最初の生産車がMT4で、自社製直4は排気量を1092ccから1392cc、1453cc、1491cc、1568ccと拡大されながら、1957年までに計80台が生産されました。

FIAT

1962 600B

1957 500

1963 500コルタ

コルタ(Corta)は short の意。500のボディを切った貼ったして、オープン化、ショートホイールベース化したもの。

1969 500フランシスロンバルディ

画像には映っていませんが、ボディ前面にはダミーグリルが付いています。

1968 850スポルトスパイダー

アバルト

1959 750GTザガート

1963 850TCニュルブルクリンク

マセラティ

1965 3500GTS/セブリング Sr.II

1969 ギブリ・スパイダー

ランチア

ランチアトラック

ストラトス

アルファロメオ

1957 ジュリエッタSVZ

ジュリエッタSVのシャーシに、ザガートによるアルミボディを載せたスペシャルで、生産台数は17台。これをベースにカタログモデル化されたのが、「ジュリエッタSZ」。

1956 ジュリエッタ 750 スパイダー

1959 ジュリエッタ 750 スパイダー

1960 ジュリエッタ 101 スパイダー

1962 ジュリア 105 スパイダー

エンジン排気量が1.3Lから1.6Lに上げられると、名称もジュリアに変更されます。

1970-77 モントリオール

車名は1967年のモントリオール万博にプロトタイプが展示されたことに由来します。伝説的なレーシングカー、ティーポ33用2,998ccを2593cc、200HPにデチューンしたエンジンとマルチェロ・ガンディーニによる魅力的なスタイリングで見過ごされがちですが、シャーシと足回りは量産1750/2000GT系の流用に過ぎないのは興ざめです。それゆえ見た目からすると意外な2+2の4座となっています。

PART 2に続く

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