2018/02/17-18 ノスタルジック2デイズ (1/2)

パシフィコ横浜で開催された4輪旧車専門誌が主催のイベントです。E藤さんが行ってまりました。

特別展示車

1978年 童夢 零
林みのる氏、由良拓也氏、三村建治氏、小野昌朗氏らのキラ星が、若かりし頃に製作に関わった純和製スーパーカー。野心作。L型6気筒2.8リッターをミッドシップに積む。日本でのナンバー取得を目論むも、当時の「官」の壁は今とは比べ物にならないほど高かったのでした。

零(正確には後継モデルのP-2)が履いていたホイール(とハンドル)はアフターマーケットパーツとして市販されました。


1979年 童夢 P-2
日本で無理ならアメリカで認可を取得すべく、USの法規に対応したP-2が造られました。US仕様らしく、大きく突き出た5マイルバンパーが外観上の特徴。

赤と緑の2台が製作されるも市販に至らず。この手のプロジェクトが途中で雲散霧消となるのは、この頃から続く童夢のお家芸ですね。


USの2大カー雑誌、カーマガジンとロード&トラックの1979年9月号の表紙を同時に飾った童夢P-2。両誌は、『日本のランボ!』、『ヨーロッパ製エキゾチックに対する日本の挑戦』と煽っていますが、内実は零細の家内制手工業だったんですよね・・・


トムス・スターレット(KP47)
70年代グラチャンの前座レースであるマイナー(1.3L以下)・ツーリングカーレースは、本来、入門クラスであるにもかかわらず、オイルショックと排ガス対策によるワークスチームの総撤退で、シートを失ったワークスレーサーたちがしのぎを削るシリアスな場となっていました。

この#7は、75年、76年、78年と3度のシリーズチャンピオンを獲得したトムスのマシン。ライバルのサニーとシビックに対抗するため、ワークス謹製のDOHC16バルブのスペシャルヘッドが組み込まれています。


当時のプラモ少年なら見覚えのあるカーラリング。そう、マルイからキット化され、名作と名高かったアレです。


バリエーション展開で、カラーリング違いのトムスと


クワハラ・レーシング仕様がありました。


後に街道レーサーに変貌・・・(族車の成り立ちを正しく表している、ともいえます)


横浜銀蝿なんかが流行った時代でした。族車キットが妙に人気を得て、各社で濫造されました。マルイでは旗とフィギュア2体を追加し、差別化を図りました。

日産チェリークーペX1
1973年の日本グランプリ、長谷見車。


日産ブルーバード1600SSS
1970年の東アフリカ・ラリー(後のサファリ・ラリー)優勝車。総合、クラス、チームの3冠を制覇。


品川ナンバーでサファリを走ったんです。


ニスモ400R(BCNR33)
ニスモによるコンプリートカーで400馬力を発揮。車両価格1200万円、55台が生産されました。


主催社がトラック専門誌を発行している経緯から、巨大なトレーラーを展示。キラいじゃないです。


栄光の「選ばれし10台」

という題目で、一般公募で選出されたオーナー車両を展示しています。

1959年式ダイハツミゼットDKA

1968年式 ダットサン ロードスター2000

1969年式 いすゞ ベレットGTR

1973年式 ホンダZ

1987年式 日産Be-1キャンバストップ

スズキGS1200SS


表紙を飾ったクルマたち

バブルの象徴、シーマ。ほんとに全く見なくなりましたね。



ジャパンプレミアム

各チューナー、レストアラーが腕を振るった「作品」9台に値段を付けて販売するという企画。

トヨタ2000GT(1967年)が1億3000万円はいまさらとして・・・箱スカGT-R(1970年)が3,456万円。ケンメリGT-Rに至っては、な、なんと9,800万円!!ただし、ボディーカラーは希少な純正レッド、走行距離は1万5100kmの内外装すべてフルノーマル車なんだそうですが・・・2000GTバブルに引っ張られていませんかねえ・・・

2000GTは個人的にも大好きな車で、唯一無二の存在だと思いますが、はっきり言って1億円の価値はありませんね・・・その半分もない。4年前、海外オークションで100万ドルの値がついて以来、日本の業者も妙に強気ですが。2000GT人気は日本でのみ突出しています。日本人の金満家の懐を狙った海外オークショニアが「砂上の楼閣的価値」を積み上げただけ、と言い捨ててよいでしょう。この世界では常識ですが、価値は自然に付いてくるものではなく、意図して作るものなんです。大波に乗ろうと騒いでいる業界連中もおりますが、無視すればいいのです。


きれいに仕上げられた、ハンドメイドの初期型いすゞ117クーペ(1972年)が499万円。決して安いとは思いませんが、このへんが正常ですよね。

レパード・アルティマ(1987年)

内外装フルレストア済みが1,512万円だそうです。好きな人にはたまらないのでしょうが・・・

ショー公式サイトでは(当時は不人気・高価格だったゆえ)「アルティマ」グレードの総生産台数30台程度だったと紹介されていますが、本当ですか!?信じられません・・・レパードをベースにした「オーテック・ザガート・ステルビオ」のことではないですか?

フェアレディZ432R(1972年) / スカイラインGT-Rレーシング

「Z432」の装備を削ってレーシングトリムとしたのが「Z432R」。生産台数は23台といわれています。フルオリジナルで8,640万円の値付け。

GT-Rレーシングの方は、現代のパーツ、手法でチューニングが施され、価格は5000万円。

TOYOTA

ロッキーオートによる2000GTレプリカ、3000GT。1億円では手が出ない人向けに。3,000万円だそうです。


浮谷東次郎レプリカ。












NISSAN




















お見間違えなく、ラジコンです。素晴らしい出来!

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