2021/03/07 大和オートバイミーティング (2/2)

続きです。

BRASIL :: AME (Amazonas Motocicletas Especiais)

アマゾネスは民生用に3種、

警察用と軍用にそれぞれ1種の計5種を用意していました。

フォルクスワーゲン・エンジンを積んだブラジル製オートバイ、「アマゾネス」は日本でも有名ですが、そのオートバイを作る会社、「AME」のことは全く知られていません。

ゴミデとビストン

1970年代後半、サンパウロに住む「ルイス・アントニオ・ゴミデ」(Luiz Antonio Gomide)は、自分が所有するハーレーに頻繁に起きるエンジントラブルに悩まされていました。ゴミデはフォルクスワーゲン・フスカ(ブラジル製ビートル)も1台所有しており、品質の低いハーレーのエンジンの代わりに、信頼性の高いフスカのエンジンに積み換えたら、トラブルから解放されると考えます。(ちなみにフスカとは「大ゴキブリ」(笑)のことです)

1977年、その構想は、ゴミデの友人「ホセ・カルロス・ビストン」(José Carlos Biston)の協力を得て、見事、実現します。

モトフォルクス

そのカスタムバイクは「モトフォルクス」(Motovolks)と名付けられました。

長大なフラット4エンジンと同用トランスアクスルを積むために、ハーレー用フレームの前側とインディアン用フレームの後側が組み合わされて使用されました。なんと、改良を受けながら4台も作られたそうです。(最初期型のギア変速はハンドチェンジのままだったとか)

意外なことに、ゴミデ(左)とビストン(右)の2人は、典型的なアウトローバイカー風カスタムビルダーでありました。

AMEの誕生

2人が作ったモトフォルクスに興味を持ったのが、サンパウロで企業グループを率いる実業家「ダニエル・フェレイラ・ロドリゲス」(Daniel Ferreira Rodrigues)でした。ロドリゲスはゴミデとビストンの2人を招いて「AME」(Amazonas Motocicletas Especiais)を設立しました。当時のブラジル政府は、オートバイの車体はおろかそのパーツの輸入をも厳しく制限することで、国内にオートバイ産業が誕生し成長することを期待していました。ロドリゲスは政府の思惑に乗ってみたのです。

1978年、彼らのカスタムバイクを下敷きに作られた「アマゾネス」は、世界最大の量産オートバイ(当時)として世に出るに至ります。よく知られているように、フォルクスワーゲンのフラット4は現地生産されていて、容易に国内調達できたのです。

▲試作車(1978年)

▲アマゾネス、今あなたのそばにやってきました

ジャングル・テクノロジー

アマゾネスの持つ粗野で楽観的な設計は、「ジャングル・テクノロジー」と揶揄されることがあります(笑)

彼らの”やり方”は、動力の最終伝達構造に良く現れているといえます。車両の成り立ちをみれば、当然シャフトドライブ方式が採用されていると思われるでしょうが、実際はチェーンドライブ方式が使われています。シャフトドライブのような手間もお金も技術力も必要になる機構は避けられるのです。

その実現方法は、合理的と評したくなるほど大胆です。オリジナルのディファレンシャルギアを溶接で固定し、左側ハーフシャフトを取り外す。さらに右側ハーフシャフトを短くカットした上、その先端に巨大なドライブスプロケットを取り付けるというもの。

ちなみにアマゾネスの原型となったモトフォルクスでは左側チェーンでした(笑)

あまりに即興的、しかしそれで上手くいっているのだから何の問題があるのだろうか、という姿勢が、アマゾネス全体を支配する基本的性格といえましょう。

アマゾネスの逆襲

USの「Cycle World」誌は1985年11月号の誌面で、VWの有名チューナー「CBパフォーマンス」の「ジーン・エヴァンス」(Gene Evans)によって、ノーマルの1600㏄・56馬力から2275cc・150馬力まで引き上げられたチューンド・アマゾネスを使って、ゼロヨンテストを行っています。タイムは、ノーマルの17.96秒から13.28秒まで詰められています。

AMEの終焉

1986年、会社は「ギリェルメ・ハンヌッド ・フィリオ」(Guilherme Hannud Filho)の手に渡りますが、長くは続きませんでした。80年代後半のブラジル経済崩壊の影響を受け、1988年、AMEは閉鎖され、アマゾネスの生産は終了してしまいます。アマゾネスの総生産台数はおよそ450台、うち100~120台程度がブラジル警察に納入され、50台ほどが日本に輸出されたそうです。

洗練されたアマゾネス

AMEを離れることになったゴミデとビストンは、「ジャシント・デル・ベッキオ」(Jacinto Del Vecchio)と組み、「TECPAMA」(Técnica Paulista de Máquinas)を設立、1990年、サンパウロモーターショウに「カヘナ LJ-16」をデビューさせています。

アマゾネスでは最後まで改善されることになかった諸問題・・・デビュー時点ですでに時代遅れのメカニズム、手作り同然ゆえの造りが悪さ・・・は、カヘナには無縁と言えました。

エンジンはアマゾネス同様VWからの流用ですが、インジェクション化され64馬力となった新型を使用、”問題”の動力伝達はチェーンからシャフトドライブに変更されています。

大きく進化したのは車体回りで、プレス鋼板を溶接組立したツインスパーフレーム(TECBOX)にモノショック式リアサスペンション(UNI-ARM)を組み合わせた”普通のオートバイ”(笑)になっています。

「LJ-16」は好評で、1992年から「SS-1600」、「ST-1600」、「CUSTOM 1600」の3種を量産するに至ります。

ST 1600

CUSTOM 1600

カヘナの生産は1999年に終了。およそ1,000台が生産され、そのほとんどが警察用あるいは軍用として使われたといいます。

中国資本下へ

2010年、アマゾネスおよびカヘナのブランドは、中国の「ロンシン」(Loncin Motor Co., Ltd.)に移されています。現在、ロンシン製オートバイ(250㏄)およびスクーター(150㏄)にアマゾネスの名前を付け、ブラジル国内で現地生産しています。

Ukraine :: KMZ-Dnepr

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