2015/11/1 絶版二輪車祭

毎度のE藤氏のレポートです。群馬県みどり市桐生ボートレース場で開催。「隠しきれない族っぽさ」に辟易したE藤氏、一度は「レポートはボツにしよう」と決めたのですが、清濁併せ持つのがバイクの魅力、と思い直した次第。それっぽくない車両に厳選してのレポートをお送りいたします!

HONDA CB750Four

カクカクした(足つき性の悪い)サイドカバーとシート後端が尖っているのがK0の見た目の特徴です。


こちらは足つき性を改善したサイドカバーを持つK1以降です。


定番CRではなく、ソレックスキャブというのにオーナーの強いこだわりを感じます。レアなメルバー製キャストホイールにも注目です。


HONDA CB750Four & CB400Four


HONDA CB400Four

HONDA CB1100R

これだけオリジナルを維持しながら、変なミラーと変なマフラーが残念!


HONDA CB750F INTEGRA

高いオリジナル性を保つインテグラ。珍しい。


KAWASAKI 750SS


5本スポーク・・・ハヤシのキャストホイールでしょうか。メルバー、レスター、ハヤシ、BEET・・・この辺の当時の二線級キャストホイールについて、まとめたら面白いかも?


ここで、黎明期のアフターマーケット向けキャストホイールを取り急ぎご紹介。(自分で振ったネタの伏線を自分で回収いたします)

USの一線級は「モーリス」(Morris)でしょうか。他に、「レスター」(Lester)、「シェルビー・ダウド」(Shelby-Dowd)、「キム・タブ」(Kim-Tab)などがあります。

モーリス

ケニー・ロバーツの推薦でYZR500のワークスマシンに履かされていたことで日本でも有名なメーカーです。カワサキのGPチームも使用していました。
morris morris_ad 当時の国産の同等品がだいたい6万円しない中、日本では13万6千円の値付けでした。広告の上の方では「Aluminum Street Wheels」とデカデカとアルミであることを掲げながら、下の方では「Stock Custom or Cafe Racer, there is a Morris Mag for you.」とマグホイールであると言っています(笑)
morris_jp

レスター

レースイメージはあまり無いのですが、海外の雑誌などに載っている当時のカスタムマシンに、やたら履かされているのが見受けられます。
lester_maglester_ad

シェルビー・ダウド

シェルビー・ダウドは、あのコブラのキャロル・シェルビーが関係する会社です。シェルビー・マスタングに履かされたシェルビー・マグホイールは有名ですが、2輪用も造っていました。代表作は下の「デイトナ」です。
shelby_mag shelby-dowd_ad デイトナの大ヒットに対し、「ペンタグラム」はデザインが不評で売れませんでした。
shelby_pentagram

キム・タブ

「スノーフレーク」の名称で知られています。
kimtab_front
英国は「ダイマグ」(Dymag)が一線級で、他に「シャンブレー」(Cambray)、出回ったものではありませんが面白いところで「ピーター・ウイリアムズ」(Peter Williams)を挙げておきます。

シャンブレー

英国らしい地味な感じです。
1977Cambraycampbray

ピーター・ウイリアムズ

英国人GPレーサー、ピーター・ウイリアムズは、エンジニアとしての顔も持ち、モノコックフレームで有名なノートン 750 JPSの設計者兼ライダーだったことでも知られていますが、レーサー引退後、キャストホイールやディスクブレーキの開発、生産に携わっています。

彼のホイールがこれです。初見では、ダイマグに5本スポークってあったの?と訝しがることがあってもおかしくないでしょう。私もそう思いました。
Peter_Williams
イタリアでは、王道の「カンパニョーロ」(campagnolo)以外では、「メルバー」(Melber)、「EPM」、「ベルズ」(BELS)など。(中空スポークで名を馳せる「マービック」はまだ存在していなかったはず)

メルバー

melber

EPM

カンパの5本スポーク、モーリスの7本スポークに対し、6本スポークなのがEPMです。アルチューロ・マーニの会社だったはずです。
epm

ベルズ

キム・タブの「スノーフレーク」に似ているのですが(スポーク数がベルズの方が1本多い)、どちらが先に世に出たのでしょう?
bels MVアグスタの市販車の純正ホイールに採用されていました。
MV_Agusta_350S_Ipotesi_1975
日本では主にUSのトレンドを追って、あまたのメーカーがキャストホイール生産に乗り出し始めました。”あの”「デイトナ」、「BEET」(日本キャスト工業)、「ハヤシレーシング」あたりが主流だったといえましょう。

デイトナ

「セブンスター」はシェルビーの「デイトナ」(6本スポーク)の7本スポーク版・・・率直に言って、コピーでしょう。
abe ヘンリー・アベ名義(デイトナに改名する前の会社名)で結構な数がUSに輸出されていました。(「デイトナ」名義ではコピー元の「デイトナ」と名称が被ってしまいます(笑))
sevenstar

BEET

BEETはレスターのスポーク数を一本減らし、6本にしたコピーですね。(後にビモータ・ジャパンとなる奈良のオートショップ・フクイが関わっていました)
beet BEETは他にもダイマグ3本スポーク、カンパニョーロ5本スポークといった有名どころも、まんまコピーしていました。(下の2本はダイマグとカンパではなく、BEET製です(笑))
beet

ハヤシレーシング

ハヤシは、BEETよりさらに1本多く減らし、5本スポークでレスターをコピーしたものでしょう。
hayashi

SP忠男

「フェレックス」の名称で売られていました。率直に言って、上記3社の製品と肩を並べるほどメジャーなものではありませんでしたが、そのデザインは安直なコピーでないことを評価したいと思います。定番のZ750用、CB750K用のほか、中型クラスを吹っ飛ばして、GT50/GR50用が用意されていました。
ferex01 上で、アフターマーケット向け国産キャストホイールを、海外製品のコピーだ、コピーだ、とこき下ろしましたが、実のところ大資本のオートバイメーカーの純正ホイールも、なかなかどうして・・・と言ったところでありました。

カワサキ純正

USでフェイク・モーリスと呼ばれていました。スポーク数も一緒。エンケイ製と聞いています。
kawasaki

ヤマハ純正

ヤマハ初のキャストホイールは、スポークの数までレスターと同じでした。ずいぶんと長い期間、いろいろな車種に使用されていましたが、レスターを知らない人は、「大八車」とデザインのダサさを揶揄することが多かった印象です。
1979xs400 こちらは、まんまメルバーです。主にXJ系に使用されていました。
1981xj400

スズキ純正

スズキ初の純正キャストホイールと、キム・タブの「スノーフレーク」との類似性を指摘する人がいますが、私はそうは思いません。むしろ、SP忠男の「フェレックス」と同じデザイン・コンセプト(Yの字が5本)だと、今回気づかされました。
suzuki

BMW純正

スズキよりはるかに「スノーフレーク」(あるいはベルズ)に似ているのが、BMW初の純正キャストホイールです。ただしスポーク数ははるかに多いです。(キムタブ:5本、ベルズ:6本、BMW:9本)
bmw01 同じデザインで8本スポーク版もあります。
bmw02 K75/100用ホイール。どこかで見たような・・・そう、SP忠男の「フェレックス」です。完全に偶然なのでしょうが・・・ホイールデザインのバリエーションの限界を感じます。
k100

KAWASAKI 250SS


KAWASAKI KH400


チャンバー効果の考案者、MZのウォルター・カーデン、真っ青の集合チャンバー。時代です。


とはいえ、集合チャンバーは決して日本のパーツメーカーだけの「黒歴史」ではなく、世界的に存在していました。(上のKHのも海外製っぽいですね)
bromlech_3into1

Kawasaki KH250


YOSHIMURA KAWASAKI Z1

当時のレーサーのレプリカでしょうか。


KAWASAKI Z1


KAWASAKI Z1R


KAWASAKI KZ900LTD

一連のLTDは、ネブラスカ州リンカーン工場で現地生産されました。今では当たり前となった日本メーカーの「現地生産」の走りといえましょう。さらにリリースは1976年で、なんとハーレーの初代ローライダーの1977年より1年早いのです!「ファクトリーカスタム」の発祥はカワサキだったのです!

プルバックハンドルとか、リア16インチとか、キング&クイーンシートとか、昔ダサく感じられた個所が、今見ると味わい深い。ジャーディン製の爆音マフラーを純正採用している点も見過ごせません。


さらに、LTDはモーリスのマグホイールを奢られています!後のカワサキ純正ホイールとデザインが全く一緒なので分かりにくいのですが。1976年のラインアップを見てください。まだ、すべてのモデルがスポークホイールだった時代でした。
1976kawasaki

Kawasaki KZ1000FX


Kawasaki Z400FX


Kawasaki GPz550

GPzというとユニトラック・サスを連想しますが、81年モデルはビキニカウル+2本サスで、1100同様、GPzを名乗っていました。(FX風丸ライトはノンオリジナル)


Meguro Z7

1959ないし1960年製。500cc単気筒。


KAWASAKI 650 W1S

左足ブレーキです。


KAWASAKI 650RS W3

フロントダブルディスクの最終型。


1986 YOSHIMURA SUZUKI GSXR750


SUZUKI GT380

この時代の旧車って、子供の時には余りにも大きく感じられたものですが、今見るとむしろ小さ目な印象に不思議な気持ちになります。ただ、GT380だけは当時の思い出も今の印象も大きいままですね。


SUZUKI GT750

ZとCB一辺倒の日本の旧車界では、GT750なんかにこだわっている人は、よっぽどの変わり者といったところなのでしょうが、海外ではそれなりに人気があります。


スズキとしては「水冷」の先進性を前面に押し出したかったようで、目立つシリンダーサイドは水冷を強調するような、のっぺりとしたデザインにしています。(まさにあだ名の通り、「ヤカン」です)一方、それ以外の箇所には、空冷エンジンもかくやと思われるほどに冷却フィンがびっしりと張り巡らされています。現在なら、フィンの扱いは逆となってもおかしくないでしょう。
GT750A ここで、あまり扱われることの無いGT750の周辺について語りを入れてみたいと思います。

SUZUKI GT750P

旧車ファンにも人気があるマンガ「ワイルド7」で、主人公・飛葉大陸が駆るマシンはCB750Fourでした。
hiba他メンバーのバイクもバリエーション豊かで、そこがバイク好きに支持された故なのですが、TVドラマとして実写化された際は、スポンサーとか予算とか諸般の都合で、全員にGT750があてがわれました。まあ、それはそれで悪いわけではないんですが・・・現在、CB Fourを使ってマンガ版・飛葉のコスプレを行うものが後を絶たないのですが、GT750を使って実写版のそれを行う人が皆無であることが、ちょっと気がかりです(笑)
wild7 さて、長い前置きの後に本題となります。ワイルド7でなぜ劇中車を白バイにしなかったのでしょう・・・マンガでは、皆、好き勝手に色々なバイクにに乗っていますが、全員、しっかり白バイなんですよ!

GT750には、ちゃんとポリス仕様の設定がありました。「最後の2スト白バイ」(=珍品)として紹介されることが多いようです。
gt_police_brouchure GT750の白バイに捕まったら、忘れられない思い出になりそうですね!
gt750p
GT750ベースのレーサーについてご紹介いたします。

1972-75 SUZUKI TR750

60年代後半に入ると、スズキのワークスレース活動は、それまでの主戦場だったヨーロッパでの純レーサーによる世界グランプリの他、USにおける市販車改造フォーミュラによるグランドナショナル選手権との2本立てとなります。

グランドナショナル選手権でのスズキのライバルは、ホンダCB750R、カワサキH2R(2スト750cc)、ヤマハTR2、TR3(2スト350cc)の他、地元のハーレーXR750、トライアンフ・トライデント750といった英国勢でありました。後輪70馬力程度のTR500で戦っていたスズキにとって、これらのマシンに対抗、凌駕する大排気量・大馬力のニューマシンの開発は必然であり、急務ともなります。

GT750エンジンをベースとするTR750(XR11)は、その求めに応じて開発されました。狙いはシリーズチャンピオン以上に栄誉のあるデイトナ200マイルの勝利です。ワークスチームとしては1972年から1975年までの4年間の活動となります。

Suzuki_TR750_XR11

1971

下の画像は竜洋で開発中のプロトです。TR750の「売り」は、後輪100馬力以上に及ぶその大馬力で、170mph(約270km/h)超の最高速に達したことを誇っています。ただし、当時のタイヤではその大馬力を活かしきれなかった嫌いはありました。

TR750ad

1972

TR750のデビューは、1972年のグランドナショナル選手権初戦、デイトナ200マイルです。

1972 SUZUKI DAYTONA TEAM
Ron Grant, Art Baumann, Jodi Nicholas

1972年のデイトナでは、アート・ボーマンが172 mph (279 km/h)の「予選最高速」の新記録を打ち立てるも(予選も1位通過)、決勝では点火系トラブルでリタイア。ロン・グラントもクラッチ・トラブルで、ジョディ・ニコラスもタイヤトラブルで、そろってリタイヤとなります。上のチーム画像にはなぜか映っていないジェフ・ペリーだけが15位で完走を果たしました。

TR750のみならず、大パワー勢はことごとく自滅し、わずか半分の排気量のヤマハTR3、それもノーマークのプライベーター、ドン・エムデに200マイルの勝利を持って行かれます。

1972emde
1972 200mile Winner – #25 Don Emde

1973

1973年のチームは、ボーマンとニコラスが去り、ポール・スマートと昨年のデイトナ・チャンピオン、ドン・エムデが加入しています。

1973daytona_suzuki
1973 SUZUKI DAYTONA TEAM
Geoff Perry, Ron Grant, Don Emde, Paul Smart

200マイル決勝では、予選1位のスマート、ペリーとも点火系トラブル、グラントはチェーン・トラブルでリタイヤと昨年同様大荒れの中、エムデだけがクレバーなレース運びで7位完走を果たしています。

優勝は水冷化されたワークスTR3駆るヤーノ・サーリネンで、昨年に続き、小排気量車が750cc勢を打ち負かす構図となりました。

1973winner
1973 200mile Winner – #10 Jarno Saarinen

1974

1974年モデルのTR750は大きく手が入れられ、マグネシウムパーツによる軽量化の他、新たにローボーイフレーム、モーリスキャストホイールが採用されています。

1974daytona_suzuki
1974 SUZUKI DAYTONA TEAM
Ken Araoka, Paul Smart, Cliff Carr, Gary Nixon, Barry Sheene

チームの方は、ポール・スマートのみ残留、クリフ・カーとゲーリー・ニクソンがカワサキから移籍してきた他、注目株、TR750でFIMトロフィーの73年チャンプとなったバリー・シーンの加入です。USスズキでテストライダーを務めていた安良岡健も参戦しています。

決勝では、アゴスチーニとトップを競っていたニクソンは47ラップ目でクラッシュ、リタイア。シーンは電装系トラブルで57位。カーは11位。スマートは予選で2年連続のポールポジションを得るも9位。安良岡が予想外のスズキチームの最高位の7位でフィニッシュしています。

72年、73年と2年連続でデイトナの勝利を飾った350ccヤマハは「ジャイアント・キラー」として、プライベーターに絶大な人気を得ていました。1974年のデイトナ200マイルのエントラントの7割以上がヤマハで占められていました。さらに、この年のデイトナでデビューしたTZ700は、ジャコモ・アゴスチーニとケニー・ロバーツが1-2フィニッシュの華々しいデビュー・ウインを果たしますが、その強さは、TR750・・・のみならずTZ700以外のあらゆるエントラントの息の根を完全に止めてしまいます。

1974ago
1974 200mile Winner – #4 Giacomo Agostini

1974年に限って言っても、決勝1位から30位までにヤマハ以外で入っているのが、カワサキ1台(3位)、スズキ3台(7位、9位、11位)の計4台に過ぎませんでした。以降、誰もTZ700/750/500の勢いを止められるものはおらず、唯一、TZの刺客となりえたのは、1985年のスーパーバイクへのレギュレーション変更でありました。

1975

1975romero
1975 200mile Winner – #3 Gene Romero

1975年の出来事で今でも語り草となっているエピソードは、デイトナにおけるバリー・シーンの大クラッシュです。1975年2月、3月の200マイルレースに向けてデイトナでタイヤ・テストを行っていたバリー・シーンは、バンクをトップスピードで疾走中、リアタイヤがバーストし(エンジン・ロック説もあり)転倒、路面に叩きつけられてしまいます。彼は、体中の骨という骨が折れるという瀕死の重傷を負い、200マイルレース出場は棒に振りますが、驚異的な回復力で6週間後にはレースに復帰します。その年のオランダとスウェーデンの世界GP500ccクラスで優勝を飾ると、翌1976年、翌々1977年の2年連続で世界GP500ccクラスのチャンピオンとなり、自身のキャリアのピークを迎えています。

1975daytona 結局、1972年から始まり13年間に渡るヤマハのデイトナ支配の前に、TR750は一度も勝てずにその生涯を終えます。そんなパッとしないUSでのTR750のレース活動に対し、ヨーロッパで行われたFIMトロフィー(ヨーロッパ版F750選手権)で、バリー・シーンが1973年のタイトルを獲ったことが唯一の明るい話題でしょうか。

プライベータのために、GT750エンジンをTR750仕様とするエンジンキットが販売されていました。(「デイトナ・キット」と呼ばれています)このキットは、市井のチューナー、カスタムビルダーを刺激し、「TR750エンジン」を積んだ様々なレーサー、カスタムバイクが世に存在することになります。

tr750kit
イタリア、フランス、イギリスのスズキ・インポーターがGT750をベースに、準公式の限定カスタムモデルをリリースしています。

1973-75 SUZUKI GT750S Vallelunga

イタリア・トリノのスズキ・インポーター、SAIADは、イタリア国内のプロダクションレース参戦を見据え、GT750ベースのGT750Sを製作、販売します。FRP製外装一式(ガソリンタンクの「スズキ」のカタカナ表記のロゴはご愛敬)で214kgの重量を190㎏まで軽量化。レース用キットとして、TR750用チャンバー、クローバー製イグニションシステムなどが用意されていたとのこと。生産台数は120台とされていますが、100台以下(85台)に過ぎなかったという説もあります。
1973_GT750S

1974 SUZUKI GT750 Roca

フランス・スズキのピエール・ボネは、元GP50cc/125㏄クラスのライダーでフランス・スズキのレース活動をサポートしていたジャック・ロカの助言を得て、GT750 Roca を製作、限定車として販売します。実のところこれは、フランスではGT750の販売が振るわず、その在庫一掃のためのテコ入れ策でありました。
1974_roca_gt750

1976-77 SUZUKI DUNSTALL GT750

英国の著名なチューナー、ポール・ダンストールが、GT380/550およびGT750用のFRP製外装キットを販売すると、スズキGBのヘロンは、それを装着した GT380/550/750 を限定モデルとして販売しました。
heron01
以下、「公式」ではない、印象的なGT750カスタムをご紹介いたします。

1974 REIMO 750GTR / 900GTR

西ドイツの著名なスズキチューナー、REIMO は、高度なチューンを行ったGT750をコンプリートマシン 750GTR /900GTR として販売しました。排気量は750ccと900ccの2種類があり、900ccはわずか10台ほどしか製作されませんでした。
reimo gtr reimo750gtr ここはGT750用のカスタムパーツを多く出していますが、「集合チャンバー」(笑)も2種類ほど出しています。
reimo_3into1_01 reimo_3into1_02

1974 Barton 750

バリー・ハート(Barry Hart)とトニー・ライアン(Tony Ryan)の2人によって設立されたバートン(Barton)は極めて高い技術力を持ったハウスチューナーとして知られていました。

1974年頃、バートンはGT750エンジンをベースにF750向けレーシング・エンジンを製作、4ステージあるチューンの中、最大で115馬力(軸出力)を叩き出しました。これはワークスTR750に迫るものです。

barton02barton01 スズキのエンジンを使ったバートン製レーシングエンジンは750ccの他、500ccと350ccがありましたが、その多くが、スポンドン製フレームに載せられ、スポンドン+バートン=スパルトン(Sparton)として販売されました。

Barton 350/500

バートンとスズキエンジンとの関係は、350ccクラスのレース用エンジンを持たないスズキGBが、バリー・シーンに乗せるための350ccエンジンの製作をバートンに依頼したことから始まります。

1974年、バートンはGT380(BxS:54mmx54mm)のクランクとクランクケースに、自ら設計したボア52mmの水冷シリンダーを組み合わせた350ccエンジン(BxS:52mmx54mm)を製作し、それに応えました。

barton_002 スパルトン350に乗ったバリーは、ブランズハッチでのプラクティスでコースレコードを破るほどでしたが、社外エンジンを使うことを良しとしないスズキ本社から、ありがちな使用ストップが掛かり、結局、バリー・シーンはスパルトンでレースに出ることはありませんでした。

バートンは同時に、同じGT380クランクを使ってボアのみ拡大した500㏄クラス向けエンジンも製作しています。ボアは60mm、61mm、64mmなど開発段階に応じていくつか存在し、出力も95馬力から始まり、110馬力程度にまで煮詰められ、マン島TTではしばしば区間最高速を記録するほどパワフルなエンジンでありました。

スパルトン500は、スズキRG500の半額で購入できた上、車重も10数kgは軽量でもあったため、プライベータに多いに支持されました。ただし、ボトルネックはGT380クランクの億弱さで、常にトラブルの原因となり、「壊れやすい」という評価を払拭することはできませんでした。
barton
GT750の大排気量2ストロークエンジンのように、軽量、パワフルな上、チューニングの余地を持つエンジンは、サイドカーレースや4輪フォーミュラにも重宝されました。以下にその一例を挙げておきます。

Suzuki Schmid GT 750

Suzuki_Schmid_GT_750

1969-75 McCann ME-4A

SCCA(Sports Car Club of America)のDSRクラス向けレーサー。GT750エンジンを850ccまで拡大し、130馬力を出すというオセロット・スズキ(Ocelot Suzuki)をミッドシップにマウント。
1979_Ocelot850

SUZUKI RG250E

末尾のEは、GS400とGS400Eの関係と同様、キャストホイール仕様を意味します。


RG250にEが付いたのは1978年ですが、この頃のジュニアスポーツ自転車では、トラック野郎やらスーパーカーやらのブームの影響をモロに受け、フラッシャー・テールランプ(「乾電池」で光る!)、リトラクタブルヘッドライト、MTフロアシフト風ギアチェンジレバー、ディスクブレーキ・・・といったギミックを各社で競い合っていました。

そんな中、スズキがやってくれました。オートバイで急速に普及が進むアルミ・キャストホイールを自転車にも持ち込みます。長らくスズキの顔となった星型デザインがまぶしい!この自転車、今でも持っていたら、ちょっとした「お宝」ではないかと思います。
sky_young ただ、自転車にキャストホイールの装着はスズキが初めてではありません。USではBMXにマグホイールを履かせるのが当たり前の時代がありました。なんと、天下のモーリスとレスターが、そろってBMX用のマグホイールを出していたんですよ!(BMXにおけるマグ製キャストホイールは、まもなくナイロン製キャストホイールに取って代わられ、主流はまたスポークホイールに戻っています)
lester_ad

SUZUKI RG400/500Γ


SUZUKI RG250Γ


YAMAHA XS650


YAMAHA RD400

キャストホイールが装備された最終型。


YAMAHA RZ250/350


BMW K1

モダンなK1も1989年デビューなので、もう26年モノなんですね。間違いなく旧車です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です