2020/01/19 新年会

1970年代のスーパーカーブーム時の写真ではありません。

本日の会の主たる目的は、ついにフルレストアを果たした3台のベベルのお披露目だったのですが・・・

ボーラの電撃的な登場で、ベベルの存在はぶっ飛んじゃいましたね。

Engine Room

マセラティ伝統の450S系V8は、ボーラで初めてミッドシップに置かれました。

ボーラは、マセラティがシトロエン傘下にあった時期に開発されたため、悪名高いハイドロニューマチックが導入されています。ただでさえ低いマセラティの信頼性を、ハイドロが地の底まで沈めたなんて言われたりしますが・・・

ボーラの続きは一番下にて・・・




厚切りチャーシュー、お手製です。















塗膜の固さを検分するN江さん。

ベスト・ジーニスト。











私はガンダムの良し悪しはよくわかりませんが・・・

E藤さんがここまで愛してやまないガンダムなので、きっと良いガンダムなのでしょう。

しかし、ガンダム以外には非情な男なのです。



私はZの良し悪しはよくわかりませんが・・・

K藤さんがここまで愛してやまないZなので、きっと良いZなのでしょう。















職質上等!!

チャカはしまいなさいって、と言わんばかりのお隣2人の視線が何とも良い雰囲気を醸していますね。



崎陽軒のしうまい

ウマー!!



ゴーグル・クラブ!!(ゴーグルは言わず知れた今は無きバイク雑誌です)



たまたま前を通った、イイ感じにイジったスターレット!!


御年70歳の現役MHR乗りS田さん。







おまたせしました!酒と薔薇を愛するN島さんのブロマイド、2枚(2態)です。


なにやらiPadで盛り上がっている模様・・・


創業明治初年、静岡県沼津市の国内産無添加干物の「奥和」です!























なつかしい、ピロピロ飲み!

静と動、とでも申しましょうか・・・









みなさん、ヤバいくらいにチャカの扱いに長けていらっしゃます。


暴発必至のオイラの相棒はトカレフだけさ!!

シメは乳酸飲料!?もはや訳が分かりません。

お開きです

現役最年長S田さんから音頭をいただき、一本締めで閉会。

今年もよろしくお願いします。
[画像協力:E藤様]

以下、ボーラ編再開!!

Styling Profile

ボーラ最大の魅力はスタイリングでしょう。ベルトーネ、ギアを経た後、イタルデザインを設立してまもない頃のジウジアーロによるもので、ジウジアーロの歴代傑作のひとつと言って、異論は出ないでしょう。

Cockpit

マセラティのテストドライバーの正装は、ヘルメットにレーシングスーツ、レーシングシューズではなく、主たる顧客を想定した、山高帽にスーツ、革靴だった聞きます。たしかに、この手のクルマにありがちな狭苦しさは全くないですね。

収納個所が多いのもマセラティの美点と言われています。

フロント・トランク

トランク容量の大きさも、GTとしての本分を忘れないマセラティのこだわりと聞きます。

トライデントの右横にトランクリッド・オープナーが見られます。

ボーラは初期型(4.7L)と後期型(4.9L)でトランクの開き方が変更されています。上の画像の通り、前期型は後ろヒンジで、

ボンネットにルーバーが付いた後期型では前ヒンジ・・・変更に理由はあるのでしょうか?

L字レバーはバッテリー・キルスイッチだそうです。

給油シーン

意外に見る機会のない給油シーン。トランクが半開きなのは、おそらくフューエルリッドを開くレバーと間違えられたのではないでしょうか?(私も初見の車で、よく間違えますゆえ)

フューエルリッドは車内から遠隔操作で開けるのではなく、直接キーで開けるタイプでした。(バイクと同じ!)

走行シーン

ボーラとメラク

ボーラと言えば弟分のメラクです。大艦巨砲主義の典型的スーパーカー「ボーラ」よりも、スーパーカーのガワに量産車のエンジンほかコンポーネンツをできる限り組み込んだ即興的ともいえる「メラク」の方が考察的には興味深くはあります。(もちろん、スーパーカーを欲しがる人たちは考察ために購入するのではありませんから、スーパーカー愛好家においては、メラクは厳しい扱いで、そういった状況もいっそう興味深かったりします(笑))

V8とV6

メラクはマセラティのオーナー会社シトロエン肝煎りのプロジェクトで、できるだけ手持ちのパーツを使って(=可能な限り金を掛けずに)・・・具体的にはボーラのボディ、シトロエンSM用V6エンジン、同用トランスアクスルほか、使える量産パーツはできる限り使って、ポルシェ911のライバルを製作する、というものです。

ボーラの長大な4.7L V8+ZF製トランスアクスルと、コンパクトなSM用3.0L V6+SM用トランスアクスルとの比較。ほぼ等縮尺です。(ちなみにSM用V6はマセラティの設計、製造で、ボーラ用V8から6気筒分取り出して作られたもの。ゆえにV6としては異例の90度のバンク角を有する不等間隔爆発エンジンです)

コンパクトなV6エンジンの採用は、コストの問題だけではなく、リアに+2のシートを確保するためにも必要なことでした。

エンジン高が低くなったため、リア周りのデザインは、ボーラのハッチバックに対し、メラクにはフラットデッキが採用され、後方視界が大幅に改善されています。

ライバルは911

1963年にデビューしたポルシェ911が、2.0Lから始まった大き過ぎない6気筒エンジンと、2+2を武器にコンスタントに年間1万台以上を販売し、そのクラスに大きな市場があることが明らかになると、スーパーカーメーカーも生き残りをかけて、その2+2マーケットに参入を果たします。

先陣を切ったランボルギーニはウラッコP250(1970年、2.5L・V8SOHC)で、続いてマセラティはメラク(1972年、3.0L・V6DOHC)をリリース。最後発はフェラーリで、すでに246GTB(1968年、2.4L・V6DOHC)で2座のスモールフェラーリに成功しておりましたが、その後継はより実用的な4座の308GT4(1973年、3.0L・V8DOHC)でありました。

USロード&トラック誌は1975年9月号で3車の綿密な比較テストを行っています。

記事中の3車のレイアウト比較は非常に興味深くあります。

バックシートの比較

リアエンジンの911系は十分な幅の+2シートを持ちますが、低く収束していくルーフ形状で居住性は損なわれています。

縦置きエンジン+縦置きトランスアクスルのメラクは、リアスペースの確保に最も不利に思われますが、出っ張りを上手く交わしてスペースを作り出しています(バックシート中央のフタは、エンジン・メンテナンス用リッドなのでしょう)

メラクに似た印象のウラッコ。マセラティは先発のランボルギーニのやり方を真似たのかもしれません。

さすがフェラーリといったところでしょうか、ずば抜けてニートな後部座席空間を作り出しています。デザイン、仕立てとも申し分ないレベルにあります。

エンジンレイアウト

メラク、ウラッコ、308GT4は、大衆量産車のテクノロジー・・・それもスーパーカーとは最も遠いところにあると思われる「FF」・・・が無ければ産まれて来なかったクルマでした。

近代FFの源流をたどると、ミニに初めて採用された「イシゴニス方式」と、FIAT 128に初めて採用された「ジアコーサ方式」の2つに集約されます。

1959 BMC MINI

BMCの「アレック・イシゴニス」は、前輪駆動の小型大衆車を設計するにあたり、それなりに長大な直4エンジンでも横置きにした上、トランスミッションをエンジン下に搭載すれば、前後長を大幅に短縮できると考え、それを「ミニ」(1959年)で実現しました。

この「イシゴニス方式」は画期的でありましたが、最大重量物であるクランクシャフトをトランスミッション上に置く「二階建て」構造は、重心高が極めて高くなることが欠点でありました。

1969 FIAT 128

FIATの「ダンテ・ジアコーサ」は、イシゴニス方式の欠点(特殊なレイアウトによる製造コストの高さ、エンジンとトランスミッションの潤滑共用、高い重心高という物理的特性・・・)を改善した「ジアコーサ方式」を世に出します。

ジアコーサ方式では、従来通り直列配置したエンジンとトランスミッションごと横置きとしていますが、この方式は、その後のほとんどのFF車で採用されるようになっています。(この場合、左右ハーフシャフトが極端に不等長となることが操安面で大きなネガとなることが予想されますが、等速ベアリングほか技術面の進歩で問題は克服されています)

大量生産メーカーにおけるミッドシップ革命

1972 FIAT X1/9

1984 TOYOTA MR2

1984 PONTIAC Fiero

1990 HONDA NSX

マセラティの場合

フェラーリの場合

ランボルギーニの場合

Transverse V12

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ミッドシップユニットをFFに使ったっていいじゃないか!

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BBC Top Gear – Budget Supercars

1万ポンド(約140万円)以下で買ってきた「お値打ちスーパーカー」をしごき倒すというエゲツない企画。

308GT4、ウラッコ・・・「ジェレミー・クラークソン」は7,000ポンド(約100万円)のメラクをチョイス。底意地の悪さが英国人の真骨頂、トップギアの連中も例外ではないのはご存知の通り。お値打ちスーパーカーは完全に笑いモノ要員。

メラクのエンジンルームを空けると、一番目立つところにスペアタイヤが鎮座ましましているのを見て大爆笑!

お約束のハイドロ駆動のヘッドライト開閉トラブル。手堅く笑いを取りにいきます。

サーキットのタイムが悪いことは気になりませんでしたが、あまりに悲しかったことは、シャシダイに乗せてみると、たった80馬力しかなかったこと!!(メーカー公表値は190馬力)

それでも走る姿はこんなにカッコイイ!!

メラクの末路。笑いを取るために、意図的にエンジン・ブローさせられたのではないでしょうか。(あるいはブローしたという演出だけかも・・・)

A Brief History of MASERATI

イタリアンエキゾチックカーメーカーで、現在フェラーリだけが一貫した存在であり続けています。(1968年にFIATの傘下に入っておりますので、正確には「一貫した存在であり続けられるよう敬意が払われた・・・」でしょうか)

一方、マセラティ、ランボルギーニ、デ・トマゾ、イソ、アルファロメオ・・・らは、頻繁にオーナーを変えるもの、量産メーカーへ転身するもの、なんとか生き残ったもの、消滅の憂い目にあったもの、気まぐれに復活させられたもの・・・各社、波乱万丈と評される生き様を見せています。マセラティこそ、その典型でありましょう。ここにご紹介いたします。

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マセラティ兄弟時代
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1914年12月、第1次世界大戦が勃発した年に創業。創業メンバーは、マセラティ7人兄弟のうち、29歳で早世した長男(カルロ)、出生後すぐに亡くなった3男、芸術家となった5男(マリオ)の3人を除くビンド、アルフィエーリ、エットーレ、エルネストの4人でした。(ただし、マリオは後に有名なトライデントのエンブレムをデザインすることでファミリー・ビジネスに関わることになります)

Ettore, Bindo, Ernesto, Alfieri Maserati

創業の地は現在のモデナではなくボローニャで、社の正式名称は「オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」です。

彼らの仕事は、古巣の「イソッタ・フラスキーニ」車のチューニング、そして「ディアット」からの依頼を請けたGPマシン製作で、アルフィエーリが特許を持つ点火プラグの生産が社の財政を支えていたというのは有名な逸話です。

1925 Diatto Tipo 30 8C driven by Alfieri Maserati


マセラティの名前を冠した初めての車が「ティーポ26」です。実はこの車、マセラティ兄弟がディアットの1925年式グランプリレーサーとして用意したものでしたが、ディアットの財政的問題からキャンセルされてしまい、自分達の名前で走らせようと思い立った経緯があります。

スーパーチャージャー加給の1.5L直列8気筒は、当時のGPフォーミュラに適合させたものです。エキパイは前近代的な方法で連結されていますが、それでも1,500㏄から120馬力を発していました。

ティーポ26の初陣は、1926年4月のタルガ・フローリオで、アルフィエーリ自身のドライブで総合9位・クラス1位を得ています。同乗メカニックは、後にマセラティの名物男として名を馳せることになる若き日の「ゲリーノ・ベルトッキ」。

1926 Maserati Tipo 26 (8C 1500)


フォーミュラ・リブレ(自由)用に、エンジン排気量を1,500ccから2,000㏄に拡大し、それを積んだ車を「ティーポ26B」と名付けました。デビュー戦は、1927年の「タルガ・フローリオ」で、アルフィエーリのドライブで総合3位を得ています。

1927 Maserati Tipo 26B (8C 2000)

これらティーポ26、26Bは、早くもプライベータに向けて市販されています。(以後、マセラティはプライベータに競争力のあるレーサーを提供するコンストラクターとしての名声も高めていきます)


公道レースでツイスティな「ミッレ・ミリア(MM)」に向け、ティーポ26、26Bにヘッドライトとフェンダーを装備し、ホイールベースを70mm短縮し2,580mmとした「ティーポ26 MM」および「ティーポ26B MM」を用意しました。

1928 Maserati Tipo 26B MM

1928年のフォーミュラは「最低車重550㎏・最高車重750㎏」とだけ定められ、それに適合させた車両が「ティーポ26R」です。ミッレ・ミリア用シャーシに、ティーポ26B用直列8気筒2,000㏄を1,700㏄に縮小したエンジンを積んでいます。(「R」の意は、コンロッドにローラーベアリングが使用されていることから)

1928 Maserati Tipo 26R (8C 1700)


ティーポ26Bでは、「アルファロメオP2」、「ブガッティ35B」といったライバル相手には力不足であることが明らかになると、マセラティは、26Bの8気筒2,000㏄エンジンを並列し、16気筒4,000㏄から300馬力を発するモンスターエンジンを作り対抗することにしました。

そのエンジンを積む「ティーポ V4」はモンツアなどの高速サーキットで使用され、なかなかの成功を得ています。

1929 Maserati Tipo V4 (16C 4000)


ティーポ26Bの直列8気筒2,000㏄は、さらなる排気量拡大が行われ、2,500㏄となります。そのエンジンを積む「8C 2500」は、ライバル「アルファロメオP2」、「ブガッティ・タイプ35GP」を圧倒し、1930年はマセラティのレース史上最も成功した年となりました。(8C 2500はアルフィエーリの最高傑作と言われています)

1930 Maserati 8C 2500 (Tipo 26M)

8C 2500にライトやフェンダーなどのロードトリムを装備した「8C 2500 スポルト」も、スポーツカーレース向けに作られました。

1930 Maserati 8C 2500 Sport

こちらは上にレーサーとはちょっと趣の違う、ミリオネアのためにミラノのカロッツェリア「カスターニャ」が8C 2500に流麗なボディを架装した公道用ロードスター。1932年製。

1932 Castagna Maserati Tipo 26M Sport Double Phaeton

さらに、ボワチュレットクラス(グランプリの小排気量クラス)に向け、ティーポ26の直列8気筒1,500㏄の排気量を縮小し、1,100㏄としたエンジンも作られました。

1930 Maserati 8C 1100 (Tipo 26C)

2500㏄同様、ロードトリムを装備した「8C 1100 スポルト」も作られ、スポーツカーレースで成功しています。


「アルファロメオ8C-2300」および「P3」、「ブガッティ・タイプ51」の登場で、早くも「8C 2500」は劣勢となってしまいますが、さらなる排気量拡大を行い2,800㏄となった「8C 2800」が投入されました。

1931 Maserati 8C 2800

この年、ボワチュレットクラス専用に、1,100ccあるいは1,500ccの排気量を持つ新型4気筒エンジンもデビューさせています。

「4CTR」=4気筒、TR:Testa Riportata(シリンダーヘッドとシリンダーブロックが分離する構造)の意。プライベータへのメンテナス性向上を目的としたものです。

1931 Maserati Tipo 4CTR (4C 1100/1500)


好事魔多しとの諺の通り、1932年、レーサー兼開発者として4兄弟の中心人物「アルフィエーリ」が、5年前のレース中の事故で負ったケガの後遺症で、44歳という若さでこの世を去ってしまいます。

V4の排気量4,000ccが4,900㏄まで拡大され「V5」となります。

1932 Maserati Tipo V5 (16C 4900)

ちなみにこの年、ザガートがV4のシャーシに架装を施した公道走行車を作っています。まさに当時のスーパーカーですね。

1932 Maserati Tipo V4 Zagato Spider

4CTRのモノポスト(単座)版が「4CM」=4気筒、モノポストの意。

1932 Maserati Tipo 4CM (4C 1100/1500)

「4CS」=4気筒、スポルト(ライト・フェンダー付)の意。タルガ・フローリオ、ミッレ・ミリアなどの公道レース用で使われました。

1932 Maserati Tipo 4CS (4C 1100/1500)

8C 2800の排気量が拡大され「8C 3000」となります。

1933 Maserati 8C 3000

8C 3000のモノポスト版「8CM」も用意されました。

1933 Maserati 8CM

なんと!FWD版8CMも試作されましたが、失敗作に終わりました。

1933 Maserati 8CM FWD

4気筒エンジンは2,000㏄まで排気量が上げられました。

1933 Maserati 4C 2000

6気筒エンジンでも3,226cc(まもなく3,729㏄まで拡大)の新エンジンを積む「6C/34」(34は1934年の意)が登場しました。

1934 Maserati 6C/34

4気筒エンジンでは、さらに2,500㏄まで排気量が上げられました。

1934 Maserati 4C-2500

8気筒ラインはついにV型となり、90度V8・4,785㏄をスーパーチャージャーで加給、320HPを絞り出す「V8RI」が世に出しました。

1935 Maserati Tipo V8RI


1930年代中盤より、ヒトラーから国威発揚の使命を託され、ナチスの資金力をバックに開発されたメルセデス・ベンツとアウトウニオンのドイツ製マシンがグランプリに進出してくると、マセラティ、アルファロメオらイタリア勢の勝ち目は完全になくなり、マセラティは1936年シーズンをもってグランプリからの撤退を決定します。

ボワチュレットレースへの専心

1936 Maserati 6CM

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オルシ・ファミリー政権下
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1937年、鉄鋼、農業機器、工作機械からサービス業と多岐に渡る「オルシ帝国」の盟主「アドルフォ・オルシ」に身売りを行っていますが、これを「乗っ取り」と表現する人もおります。その背景に、全体主義を突き進む当時のファシスト政権の意向もあったようですが、マセラティ3兄弟は金勘定から自由になってレーシングマシン開発に専念したいと考えて決心したとも言われています。


アドルフォの息子でマセラティの社長となった「オメール・オルシ」は、金を出すが口も出すといったタイプで、彼が陣頭指揮を執った最初の仕事は、3.0L直8エンジンのグランプリマシン「8CTF」の製作でした。ドイツ勢がレースを支配する中、やはり成績はパッとしなかったものの・・・

インディで2年連続優勝

アメリカに送られた8CTFは、1939年および1940年のインディ500で2年連続優勝を果たしています。(はじめてインディに勝った外国車となりました)

1939 Maserati 8CTF Indy Winner

1940 Maserati 8CTF Indy Winner

第2次大戦勃発・活動停止

1939年9月、第2次世界大戦が勃発すると、マセラティ社は国策体制に置かれ、レース活動は停止、軍需協力に勤しみます。

戦争終結・活動再開

マセラティ3兄弟の離反

オルシ家は、市販レーサーの販売だけではなく、アルファロメオやブガッティのように、儲けの大きい高級GTをレースでの名声を背景に売り出したいと考えていました。しかし、マセラティ兄弟的には、それは望むところではなく、その経営方針の相違は両家の確執として、以後くすぶり続けることになります。

オルシ家と衝突していたマセラティ3兄弟は、1947年、10年間の所属契約を満了するや、マセラティを離脱し、自らの工房「O.S.C.A.(オスカ)」を創設しています。(O.S.C.A.についてはまた別の話となります・・・)

マセラティ3兄弟が去ったとはいえ、1950年にはフェラーリで腕を振るったこともある「ビットリオ・ベレンターニ」が招聘され、1953年には、フェラーリV12の生みの親「ジョアッキーノ・コロンボ」、今後20年に渡りマセラティの屋台骨を支えることになる「ジュリオ・アルフィエーリ」も合流し、組織としてはむしろ、いよいよ脂が乗りきった状況になっています。

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マセラティの歴史に中で、いくつかあるハイライトのひとつが「A6」です。「A6」の「A」は 「アルフィエーリ」、「6」はエンジン気筒数の意で、1947年に社から離脱したマセラティ3兄弟の、マセラティにおける最後の作となりました。

1946 A6 Sport (Tipo 6CS/46)

A6の開発は1941年ごろから始まっていましたが、第2次大戦による中断があり、1946年にようやく、プロトタイプにあたるレーシングカー「A6スポルト」2台が完成するに至っています。エンジンは6CMの1.5L・SOHC直列6気筒をベースに新規開発されたA6TRです。(TRはヘッドとシリンダーブロック分離型の意)

「A6スポルト」のデビュー戦は、1947年3月の「チルクーイト・ディ・ピアチェンツァ」(Circuito di Piacenza)でした。

1947 A6 1500

A6スポルトはピニンファリーナによるボディ架装を受け、マセラティ初のロードカー「A6 1500」として1947年3月のジュネーブショーでデビューしています。2シーター・クーペは、特徴的なコンシールドヘッドランプを持っていました。

1947 First prototype by Pininfarina

生産型では、ヘッドライトが通常のものとなっています。

Early model by Pininfarina

途中で後部サイドウインドが追加されています。

後期型では、ファストバックスタイルの2+2となります。

Late 2+2 model by Pininfarina

1948年のトリノショーでスパイダーがデビュー、2台製造されました。

1948 Spider model by Pininfarina

1949年、ザガートは広いグラスエリアを特徴とするオンオフの「パノラミカ」(Panoramica)を発表しています。

1949 One-off model “Panoramica” by Zagato

「A6 1500」は、1947年から1950年までに計61台が製造された後、 1950年に「A6G 2000」にその座を譲ります。

1950 A6G 2000

A6の1500㏄6気筒エンジンは2000㏄となり、新規にボディが架装されています。全部で16台が生産され、うち9台がピニンファリーナによる2+2クーペでした。

フルアによるコンバーチブルは5台生産されました。

フルアによるクーペは1台のみの生産。

ビニャーレによるクーペも1台のみの生産でした。

1947 A6G “Ala d’oro”

1947年に「アラドーロ」と名付けられたA6ベースのレーシングカーがプライベータによって作られています。オープンボディの市販レーシングカー「A6GCS モノファーロ」(後述)にクーペボディを架装したものと言われています。

アラドーロは1947年のミッレミリア(#222)と、

「バレーゼ・カンポ・デイ・フィオーリ」(Varese Campo dei Fiori)(#30)を走っています。

1947 A6GCS “Monofaro”

A6ベースで作られた2座のスポーツカーレース用マシンが「A6GCS モノファーロ」です。

     G: [Ghisa] 鉄=鋳鉄製エンジンブロック
     CS: [Corsa Sport] レーシング・スポーツ
     Monofaro: シングル・ヘッドライト

A6エンジンの排気量は1,500㏄から2,000㏄まで拡大されヘッドもDOHC化されると、出力は60馬力から120馬力まで引き上げられます。1947年から1953年までに15台が作られました。

ナビシートを排した単座バージョン。

1953年からサイクルフェンダーが禁止されると、クラムシェルフェンダーに改装されます。

1951 A6GCM

F2向けに「CM (Corsa Monopost)」、レーシング・モノポスト(単座)も作られました。鋳鉄製エンジンブロックの意である「G」は名称に残されたまま、ブロック材はアルミとなり、出力はさらに165馬力から175馬力程度まで高められています。

1953 A6SSG (A6GCM “interim”)

1952年および53年のチャンピオンシップは例外的にF2に掛けられ、それに合わせてA6GCMはさらなる改良を受け、190馬力を発する「A6SSG」となります。1953年のイタリア・グランプリではファンジオのドライビングで優勝を果たし、総合成績はフェラーリに次ぐ2位となっています。

このマシンが “interim”(中間仕様)と呼ばれるのは、A6GCMと翌年にデビューするフロントエンジンF1の最高傑作と評される「250F」とを繋ぐものだからなのでしょう。

1953-1955 A6GCS/53

世界スポーカー選手権向けに作られたのが「A6GCS/53」です。エンジンのチューン度はフォーミュラ向けに比べて抑えられ170馬力程度とされています。

1953 Maserati A6GCS

1953年から1955年までに52台もが作られ、数多くのレースで活躍しています。

1954 Targa Florio 2nd #60 Luigi Musso

1955 Mille Miglia 4th #621 Francesco Giardini

1955 Targa Florio 9th #92 Maria Teresa de Filippis

1957 Mille Miglia 12th #450 Odoardo Govoni

ルマンも走っています。

1955 LeMans DNF #31 Carlo Tomasi / Francesco Giardini

1957 LeMans 12th #26 Georges Guyot / Michel Parsy

1954 Maserati A6GCS/53 Berlinetta

ピニンファリーナは4基のA6GCS/53のシャーシに端正なベルリネッタ・ボディを架装しています。

実のところ、この頃すでにフェラーリとピニンファリーナとの間に緊密な関係ができており、もはやマセラティはピニンファリーナに仕事を依頼することはできなくなっていました。そこで、ローマのマセラティ・ディーラーを介して発注するという裏ワザを使っています。(以後50年間、ピニンファリーナ・デザインのマセラティは絶えることになります)

1954 Maserati A6GCS/53 Spider

ヴィニャーレもA6GCS/53のシャーシにスパイダーボディを架装しています。1台のみの生産でした。

1954 A6G 2000 (A6G/54)

A6GCS譲りのDOHCヘッドを持つロードカー「A6G 2000(あるいはA6G/54)」が、1954年から1956年までの間に60台ほど作られました。

ミケロッティ・デザインでカロッツエリア・アレマーノのコーチワークによるクーペは21台、

Allemano

フルアによるクーペは7台、スパイダーは12台、

ザガートによるクーペは19台、スパイダーが1台製造されました。

Zagato

ザガート製クーペの1台はテストドライブ中にクラッシュしてしまい、新たなワンオフ・ボディが与えられています。ファストバックスタイルは排され、ルーフはザガートお得意のダブルバブルとなっています。

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1950年代の最も成功したF1、250F

A6SSGを発展させ、2.5Lエンジンを積んだ250Fは、1957年、マセラティにF1ワールドチャンピオンをもたらし、「1950年代の最も成功したF1」と評されています。

1954 Maserati 250F

250Fは32台も量産され、プライベータに市販されています。

実のところ、250Fは当初、成功したと言い難い成績でした。というのも1954年はメルセデスがW196でF1に復帰した年だからです。1954年および55年のワールドチャンプはW196駆るファンジオでしたが、メルセデスは1955年にルマンで起こした大事故の責任を持つ形で、その年をもって全レースから撤退しています。

1956年シーズン、スターリング・モスがメルセデスからマセラティに戻ってきて総合2位を得ています。(ファンジオはフェラーリと契約。連続3年、通算4回目のチャンプに得ています)

1956年にはフルカバードのカウルを持つ実験車を走らせています。

1957年シーズンは、ファンジオもマセラティに戻ってきて、連続4年、通算5回目のチャンプとなっています。画像はモナコGPのスタート、#32がファンジオ。

1955年末からメルセデスの直8やランチア・フェラーリのV8に対抗しえるV12エンジンの開発が始められていました。V12は250Fシャーシに積まれ、1957年4月にデビューしましたがリタイヤ。この年一杯でマセラティはレースから撤退したため、V12は成果を見ずに終わりました。

スポーツカーレースでの活躍

1954 Maserati 300S (L6)

1955年、250Fの成功を手土産にベレンターニとコロンボがマセラティを去ると、以降、アルフィエーリが、ほぼすべてのマセラティのレーサー、公道車の設計を手掛けることになります。アルフィエーリの才能は開花し、マセラティに一時代を築きました。

1955 Maserati 150S (L4)


1956 Maserati 200S (L4)

1956 Maserati 350S (L6)

ワークスチームの解散

1957年シーズン終了をもって、マセラティはワークスチームを解散します。アルフィエーリの傑作といわれる450Sが、マセラティ最後のワークスマシンとなりました。

1957 Maserati 450S (V8)

高性能GTカーメーカーへの転身

同じ年、豪華な2+2クーペ「3500GT」を世に出しており、高性能GTカーメーカーへの転身を明らかにしています。

この頃はまだ、高級GTにおいては、メーカーはエンジンとシャーシのみ用意し、各カロッツェリアがボディを担当する時代でした。1964年の生産中止までに 2,227 台が世に出たと言われる3500GTのうち、トゥーリングのクーペが1,978台、ヴィニャーレのスパイダーが242台と、そのほとんどを占め、ほかベルトーネ、フルア、アレマーノでそれぞれ1台づつとなっています。

1957 Maserati 3500GT (Touring)

1958 Maserati 3500GT (Allemano)

1959 Maserati 3500GT (Bertone)

1959 Maserati 3500GT Spider (Vignale)

1959 Maserati 3500GT Spider (Frua)

エンジン屋のマセラティらしく、3500GTのエンジンは大成功した350Sの直6レーシングエンジンそのものでした。カムギアをカムチェーンにしたりとデチューンされていますが、特徴であるツインスパークは残されています。初期型はウェバー・キャブ仕様、後期型はルーカス・インジェクション仕様となっています。(以降に登場する市販車用直6エンジンはすべてこの系統です。3500GTの他に、セブリング、ミストラルに積まれます)

レーシングカー生産の再開

「勝てる」市販レーサーを提供するコンストラクター、マセラティへのプライベーターの期待は大きく、1959年にプライベーター向け市販レーサー製作にカムバックを果たしています。この活動は1965年まで続けられ、この時生まれた一連の「バードケージ」は名車として後世に名を残しています。

1960 Maserati Tipo 61

王侯貴族のためのテーラーメイド

イランのパーレビ国王の求めに応じ、3500GTのシャーシに、特別な5.0L・V8エンジンを積んだものが5000GTです。3500GTの倍の価格と、あまりに高価となった5000GTはわずか34台しか作られず、アレマーノ製ボディが22台、トゥーリング3台、フルア3台、モンテローザ2台、ギア1台、ピニンファリーナ1台、ベルトーネ1台、ミケロッティ1台と、カロッツェリアが顧客のために自由に腕を振るった最後のマセラティとなりました。

1959 Maserati 5000GT (Touring)

1960 Maserati 5000GT (Monterosa)

1961 Maserati 5000GT (Allemano)

1961 Maserati 5000GT (Pininfarina)

1961 Maserati 5000GT (Bertone)

1961 Maserati 5000GT (Ghia)

1962 Maserati 5000GT (Frua)

1964 Maserati 5000GT (Michelotti)

そのV8は、傑作の名高い450S用レーシング・エンジンをデチューンし、4.9Lまで排気量を拡大(94×81 → 94×89)したものです。5000GT用V8はあくまで5000GTのためにだけ用意されたスペシャルエンジンでした。

クワトロポルテ、メキシコ、ギブリ、インディー、ボーラ、カムジンに積まれたV8エンジンも基本設計を450S用V8に源流を持ちます。4.2L(88×85)から始まり、4.7L(94×85)、4.9L(94×89)と排気量を上げながら使い続けられました。

レースからの完全撤退

1965年以降、マセラティは完全にレースから撤退し、オルシ家の念願だった高性能GTカーメーカーへ転身を果たすのですが、レースを続けV12エンジンを持つフェラーリに対し、レースを行わずV8エンジンしか持たないマセラティは分が悪くありました。1962年創業の新参ランボルギーニもレースこそ行ないませんでしたが、V12エンジンを持っていたのです。レースにおける過去の栄光からマセラティの名声は依然高かったものの、高性能GTカーメーカーとしての経営は常に苦しいものとなりました。

60年代の市販車

3500GTの2+2版が「3500GTiS」、通称「セブリング」です。ボディデザインの細部が異なる「シリーズI」と「シリーズII」が存在します。

1962 Maserati Sebring Series I

その名も「4ドア」。4.2LV8を積むスーパーセダンです。ほぼ唯一無二ともいえる4ドア・スーパーカーという独特の存在感から、マセラティのドル箱モデルとしてモデルチェンジを重ねていきます。

1963 Maserati Quattroporte

直6・2座で3500GTの後継とされた「ミストラル」は、スーパーカーの萌芽を感じさせる先進的なデザインを持たされました。スパイダーも用意されています。

1963 Maserati Mistral

ミストラルのデビューと同じ年、セブリングはフェイスリフトを受け、シリーズIIとなります。1966年にはストローク長を9mm伸ばした3700㏄版も追加・併売されました。

1964 Maserati Sebring Series II

1966 Maserati Mexico

マセラティ・ロードカー史上最高傑作といわれるのが「ギブリ」です。フェラーリ・デイトナ、ランボルギーニ・ミウラと世界最速を競いました。

1966 Maserati Ghibli

1968 Maserati Ghibli Spider

1968 Maserati Ghia Serenissima

1968 Maserati Simun Ghia Concept

2+2版ギブリという位置づけにあった「インディ」。命名は、1939年と1940年のマセラティによるインディ500連覇にちなんでいます。

1969 Maserati Indy

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シトロエン時代
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慢性的な資金難に苦しんでいたマセラティは、1966年、シトロエンの新型車「SM」のためのV6エンジン開発・生産の受託にこぎ着け、一息つくことができました。その流れの中、1968年、オルシは、マセラティをシトロエンに売却しています。

1970 Citroen SM

70年代の市販車

ボーラ

シトロエンは、フェラーリ、ランボルギーニに対抗するミッドシップ・スーパーカーの市販を後押しし、1971年、マセラティ初のミッドシップGT「ボーラ」が生まれました。

1971 Maserati Bora

メラク

さらに1972年、911市場を狙いボーラにSM用V6を積み2+2化した「メラク」も世に出ます。

1972 Maserati Merak

ボーラ、メラクにシトロエン譲りの(悪名高い)ハイドロニューマティックが採用されたのは、時代ゆえのご愛敬としておきましょう。

ブーメラン

1972 Maserati Boomerang Concept

クーペ 2+2 ティーポ 124

1974 Maserati Coupe 2+2 Concept Tipo 124

メディチ

1974 Maserati Medici I Concept

カムジン

インディの後継が「カムジン」です。V8をフロントに積む2+2クーペとしてボーラとの棲み分けが行われました。当然、ハイドロ付きです。

1974 Maserati khamsin

2代目クワトロポルテ

そしてシトロエン時代の最後っ屁は、2代目「クワトロポルテ」です。合理化の極みというべきこの車は、シトロエン・SM に、ベルトーネデザインの4ドアボディを載せただけのものでした。

1974 Maserati Quattroporte II

歴代クワトロポルテは人気車なのですが、この2代目に限っては、SM用V6の力不足が指摘された上、SM譲りのFF、ハイドロも嫌われる要因としてあったのか、生産中止となるまでの4年間の生産台数はわずか13台という驚異的少なさです。

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デ・トマゾ時代
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1975年、肝心のシトロエンが、業績悪化からプジョーに救済合併されてしまいます。マセラティのプジョー入りは拒否され、ついに倒産かと噂されますが、1975年末にデ・トマゾに買収されることが決まります。

パワーアップを受けたメラク

デ・トマゾ体制下でもボーラやメラク、カムジンは造り続けられました。(ボーラは1979年、カムジンは1982年、メラクは1983年でディスコンとなっています)

メラクのパワーアップ版メラクSSではハイドロを廃止したバージョンを出しています。

キャラミ

1976年に新体制の新型車として発表された「マセラティ・キャラミ」は、「デ・トマゾ・ロンシャン」にマセラティ製V8エンジンを積んだだけの合理化の権化というものでした。

1976 Maserati Kyalami

1972 DeTomaso Longchamp

メディチII

1976 Maserati Medici II Concept

クアトロポルテIII

デ・トマゾ流合理性により、「デ・トマゾ・ドヴィール」から「マセラティ・クアトロポルテIII」 が生み出されました。ただし、キャラミの場合とは違って、クアトロポルテにおいては、延長されたドヴィールのシャーシの上に、ジウジアーロによる魅力的なボディが載せられています。

1979 Maserati Quattroporte III

1970 DeTomaso Deauville

1980年代の市販車

ビトゥルボ

最終的にデ・トマゾは、マセラティにアルファロメオと同じ道を歩ませることに決めます。「大衆化」、すなわち量産メーカーへの転身です。1981年、BMW3シリーズの市場に当て込んだ2L4座クーペ、その名の通りV6ツインターボを積む「ビトゥルボ」はスマッシュヒットを飛ばし、そのバリエーション展開で、マセラティにしばらくの経営安定をもたらしました。

2door

1981 Maserati Biturbo

1988 Maserati 222

1991 Maserati 222 4V

4door

1983 Maserati Biturbo 425

1988 Maserati 422

1991 Maserati 430 4v.

Spider

1984 Maserati Biturbo Spider

1989 Maserati Spider II

1991 Maserati Spider III

ビトゥルボのV6は、メラクの変則的な90度バンクの基本設計を引き継いだもので、メラクのV6はDOHC2バルブヘッドでしたが、ビトゥルボではSOHC3バルブヘッドが採用され、後にそのヘッドは、DOHC6バルブ(試作のみ)および4バルブ化されています。

1988 Maserati Karif

1990 Maserati Shamal

1991 Maserati Racing

1992 Maserati Ghibli II

チュバスコ

ガンディーニによるクセのあるスタイリングを持ちますが、コンセプトモデルではなく、450台程度を市販予定とぶち上げられましたが、結局、世に出たのはこの1台のみ。

1990 Maserati Chubasco

325PSから435PSまでチューンされた3.2ℓV8ツインターボをミッドシップに縦置きしていますが、パワーアップされたエンジン以上に注目すべきは、初期のデ・トマゾが得意としたバックボーンフレームを持つところです。

バルケッタ

頓挫したチェバスコの資産はバルケッタに流用され、チェバスコと同じバックボーンフレームを持ちますが、エンジンは2.0Lツインターボとされています。

ワンメイク・レース用に10台(あるいは17台)のコルサ(競技専用車)と1台のストラダーレ(公道走行車)が製造されました。

1991 Maserati Barchetta Corsa

1991 Maserati Barchetta Stradale

1993年にマセラティはフィアットに買収されてしまう(後述)のですが、「バルケッタ」の製造はデ・トマゾ側に残され、「デ・トマゾ・グアラ」として世に出ることになります。クーペ、スパイダー、ウインドスクリーン持たないバルケッタと3種のボディが用意され、エンジンは前期型がBMW製V8を、後期型がフォード製スーパーチャージャー付V8を積んでいます。

OPAC

1992 Maserati Opac Concept

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FIAT時代
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デ・トマゾ路線踏襲期

1993年、デ・トマゾはFIATにマセラティを売却しますが、しばらくはデ・トマゾ路線が踏襲されていました。

1994 Maserati Quattroporte (IV)

1995 Maserati Auge Concept

フェラーリ子会社期

1997年、FIATはマセラティを傘下のフェラーリの子会社に組み入れ、フェラーリのイメージと技術で豪華GT市場への再参入を模索しましたが、成功というところまでには至りませんでした。

1998 Maserati 3200GT

2000 Maserati Buran Concept

2001 Maserati 320S Concept

2003 Maserati Kubang Concept

2004 Maserati Quattroporte (V)

2004 Maserati MC12

マセラティ・アルファロメオ・グループ期

2005年、フェラーリ子会社を外れ、マセラティ・アルファロメオ・グループとして再び量産高級路線に戻っています。(2010年にはグループにアバルトが加わっています)

2005 Maserati Birdcage 75th Concept

ザガートが、1954年式「マセラティ A6G 2000 ザガート」をモチーフに製造したコンセプトモデル。

2006 Zagato Maserati GS

2008 Maserati Chicane Concept

2008 Maserati A8GCS Berlinetta Touring Concept

2011 Maserati Kubang SUV Concept

2013 Maserati Quattroporte VI

2015 Maserati Alfieri Concept

ザガートが、1957年の「マセラティ 450S コスティン・ザガート」をモチーフに製造したマセラティ創業100周年記念モデル。限定5台が販売されました。

マセラティ式命名法

マセラティの車名は風の名前から採ったものが多いと言われています。たしかにそうなんですが、そうではない中にも、なかなか興味深いものが多い印象です。

★風

 ミストラル:ヨーロッパ4大局地風のひとつ。フランス中部(アルプス)から地中海に吹く冷たく乾いた風。

 ギブリ:ヨーロッパ4大局地風のひとつ。北アフリカの砂漠から地中海に吹く熱く乾いた風。ただし地中海を通過する間に湿潤な風となる。ヨーロッパでは「シロッコ」と呼ぶ。

 ボーラ:ヨーロッパ4大局地風のひとつ。東欧からアドリア海に吹くミストラル型の冷たく乾いた風。(ヨーロッパ4大局地風のうち、「フェーン」だけが使われていない)

 シムン:地中海の中部または南部におけるギブリ(シロッコ)型の熱く乾いた風。

 カムジン :北アフリカやアラブ地方で吹く熱く乾いた風。

 カリフ: アラビア半島南端のアデン湾で夏季に吹く風。

 シャマル:ペルシャ湾岸地域に吹く砂塵を伴う北西風。

 レバンテ:地中海からジブラルタル海峡を吹き抜ける強風。

 マエストロ:アドリア海、イオニア海で夏に吹く北西風。

★自然、自然現象

 メラク:おおぐま座(北斗七星)を構成する7星(α、β、γ・・・)のうちβ星の名称。

 チュバスコ:スペイン語で「突発的な豪雨」

★レース

 セブリング:1957年セブリング12時間レースでマセラティ450Sと300Sが1-2フィニシュを果たしたことを記念して。

 インディ:1939年および1940年のインディアナポリス500マイルでマセラティ8CTFが2連覇したことを記念して。

 キャラミ:南アフリカ共和国ヨハネスブルクにあるサーキットの名称。1967年南アフリカGP、クーパーT81マセラティの優勝を記念して。

★クルマの構造、特徴

 クワトロポルテ:イタリア語で「4ドア」

 ビトゥルボ:イタリア語で「ツインターボ」

 バルケッタ:イタリア語で「小舟」。マセラティ以外でも、小ぶりなオープンカーに名付けられることが多い。

★その他

 メキシコ:1965年のトリノショーに展示されたプロトをメキシコ大統領が購入したことから。

 ブーメラン:言わずと知れたV字型の狩猟道具。

 メディチ:イタリア・フィレンツェに君臨した世界的に著名な一族名。ルネサンス文化のパトロンを果たした。

 アルフィエーリ:エンジンニアとして中核をなしたマセラティ兄弟4男の名前。

スーパーカーを作るということ

建て替えられたモデナ工場。

変わりダネ

クライスラー社長「リー・アイアコッカ」とマセラティ・オーナー「アレッシャンドロ・デ・トマゾ」との蜜月は、アイアコッカがフォード時代に関わったパンテーラから始まっています。

80年代半ば、クライスラーはマセラティへの財政支援の意味合いも含め、クライスラーの特別モデル「Qカー」の開発・生産をマセラティに発注します。

Alejandro DeTomaso and Lee A. Iacocca

Qカーは、1986年に「TC by Maserati (ターボ・コンバーチブル・バイ・マセラティ)」として発表されるも、発売は遅れに遅れ、1989年モデルまで待たされました。

1989 Chrysler TC by Maserati

TCの生産は複雑で、トリノの工場でプレスされたボディは、USから送られたエンジンとシャーシが待つミラノの工場に運ばれ、最終組み立てまで行われる段取りです。完成した車は、遠路デトロイトまで輸送されました。

89年モデルは162PSを発するクライスラー製2.2L直4SOHCターボエンジン+3速ATが積まれましたが、90・91年モデルは143PSを発する三菱製3.0LV6SOHCエンジン+4速ATに変更されています。これらは平凡でつまらないパワーユニットと評価されていますが、他に500台限定で、コスワース製DOHC4バルブヘッド、USクレイン社設計のマセラティ製カム、マーレー製ピストン、IHI製タービン、および強化されたエンジンブロック&コンロッド、フルバランスが取られたクランクシャフトがイタリアで組まれ、203PSを発する2.2L直4ターボエンジン+ゲトラグ製5速MTという魅力的なオプションもありました。しかし、この16バルブエンジンはトラブルの固まりでした。

控えめにも年4,000~5,000台ほどを売ることが皮算用されましたが、初年度は3,764台にとどまりました。90年モデルはわずか1,900台しか売れませんでした。おそらくここで販売中止が決まったのでしょう。翌91年には1,636台を売りましたが、90年モデルの売れ残り処分だったと思われます。3年間の総計で7,300台の販売はマセラティ車としては上出来なのかもしれませんが、クライスラー車としては笑い話です。ひとえに販売価格が、「クライスラー車としては」高過ぎたのです。(ほとんど同じ車体構成を持ち、ルックスまでよく似た「クラスラー・ルバロン・コンバーチブル」は1989年モデルで$13,995であったのに対し、TCは2.3倍以上の$33,000もしたのです)

Chrysler Lebarons

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