2016/5/14-15 第55回 静岡ホビーショー (2/2)

続きです。

くるま

1/24 ホンダ N360

ハセガワ75周年の記念キットだそうです。

グーテンバーガー!!

セドリック・タクシー仕様。今は亡きイマイ(大滝?)の金型がアオシマの手に渡って、現行品として世に出ているんですね。素晴らしい。

「ラリーの日産」というフレーズ、とある20代のクルマ好きにとって、「なにそれ?」という反応でした。「それ(日産はラリーに力を入れていたメーカーであったこと)ってホントなんですか?」と言われてしまう始末。

日産バイオレット。サザンクロスラリー仕様?

ビヨン・ワルデガルドのサファリラリー車(1990年)でしょうか。

80年代半ばから始まったセリカによるWRC参戦、トヨタは脂が乗り切っていました。日産のお家芸、サファリのお株を完全に奪い、一時代を築いていたのですが・・・1995年、カタルーニャ・ラリーで吸気制限デバイスへの細工という不正が発覚。95年、96年の2シーズン、WRCを退場させられてしまいます。
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WRCにおいて、レギュレーション破りと言う不正は枚挙にいとまがないのですが、その中でもトヨタの不正は「WRC史で最もあくどい(the most blatant)ケース」との評価が残されています。勢いのあったトヨタへの反感が噴出したという面がなかったわけではなかったのかも・・・
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古のフジミ 1/20でしょうか・・・このラリーカーシリーズ、なかなか良い車種をラインアップしていましたねえ。

V6エンジンのフェラーリF1、ディーノです。ヒロ製レジンキットでしょうか?

このバカでかいアルファは、ポケールの1/8?

日本GP・生沢徹仕様のポルシェ910。タミヤの1/12かな?

ポルシェ917ルマン仕様。ヒロの超精巧1/12レジンキット。

1/12 ポルシェ956。これもヒロ製ですが、グループCカーブームの際、1/24の956を売りまくったタミヤは1/12でも956を企画していたそうです。何らかの理由で実現しませんでした。出しておけば、エバーグリーンの名作としてタミヤ史に残ったと思うのですが・・・

こちらは無理して出したおかげで、タミヤ史に残る不朽の名作となった934RSR。(資料用に実車の911を買ったというのは有名な逸話ですが、おかげで減価償却に相当の時間が掛かったとか)40年経った未だに現役の稼ぎ頭でしょう。

これらデキの良い以下4台はヒロのレジンキットでしょうか。

VW TYPE II キャンピング仕様。

シトロエン2CV ヴァン

シトロエンDS。1950年代の未来カー。

ボンド・バグ。1970年代の未来カー(嘘)

英国では、3輪車だとオートバイと同じ税金枠となり、さらにキットカーだと取得税かなにかの税金が割安になるので、その線を狙ったものです。ただ、バグはスタイルに凝り過ぎため、かなり高価となってしまい、商業的には大失敗。ボンド社消滅の直接的原因となりました。

古き佳きアメ車6台。

これも一種のアメ車。スポコン改。フラット4の代わりにV8が積まれています。

こちらのアメ車流はドイツとのハーフ。V8をフロントに積んだホットロッド。アメリカ人は、「ワーゲンはナチスが造ったクルマ」という事実を完全に忘れて、わが子のように愛しました。

シャパラル

石油王の御曹司という恵まれた立場と、世界最大の自動車メーカーGMから秘密裏に受けたバックアップとを駆使し、60年代のレースシーンを席巻した「ジム・ホール」は、コブラで知られたキャロル・シェルビーと同じテキサスの出身で、その活動時期もほぼ同じありました。

ジム・ホールが、レーサー兼レーシングチーム・オーナー、さらにはレーシングカー・コンストラクター・オーナーの3役を担いながら「シャパラル・カーズ」を運営したのは、名門カリフォルニア工科大を卒業して間もない20代半ばから35歳までという若さだったというのは、今更ながらの驚きです。
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ジム・ホールが生み出した一連の独創性溢れる・・・というより「奇抜」といっていいマシン群は、シャパラルと名付けられ、誕生から50年経た現在でも世界中に熱狂的ファンが付いています。

ちなみにシャパラルとは、US南西部に生息する飛べない鳥の名称です。(飛べない代わりに、地面を相当な速さで走ることができます)
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シャパラルは俗にロードランナーとも呼ばれています。そう、コヨーテとの追っかけっこで有名なアニメのロードランナーのモデルとなった鳥です。
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エンブレムにロードランナーのシルエットが描かれています。
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1957-59 リスター・シボレー

実はジム・ホールとキャロル・シェルビーは知己でありました。知己どころか、1950年代後半にはホールとシェルビーは共同で英国のバックヤードビルダー、リスターのUS代理店となるべく、シボレー・コルベット用4.6L・V8エンジンを積んだリスター・シボレーを6台輸入しています。リスターは1958年に廃業してしまったため、その目的は成就しませんでしたが、ジム・ホールは、そのうちの1台でレースを行っています。ホールとシボレー・エンジンとの接点はここから始まったのです。

1959 コルベット・イタリア

ちなみに、ジム・ホールとキャロル・シェルビーのコラボはまだ続き、次の計画にはレーサーのゲイリー・ラフリンを引き入れています。1959年、3人はGMの協力の下、コルベットのベアシャーシ3台をイタリアのコーチビルダー、スカリエッティに送り、アルミボディを架装させました。しかしGMは、その「コルベット・イタリア」はコルベットと市場で真っ向からぶつかると判断し、お蔵入りにしてしまいます。

1961 シャパラル・1

記念すべきシャパラル第1号車は、マシン製作のスポンサーを探していたコンストラクター、トラウトマン&バーンズにジム・ホールが資金提供したことで生まれました。鋼管スペースフレームに5.2Lシボレー・スモールブロックV8を積むシャパラル・1は、奇抜さとは無縁の、軽量さを売りにする極めてオーソドックスなFR車でした。4台ないし5台が製作され、うち3台がジム・ホールのチームで使用されました。

GMはこのシャパラル・1の活躍を見て、ジム・ホールに接近したと言われています。

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咥えタバコでシャパラル・1のシートに収まるジム・ホール

シャパラル1は、トラウトマン&バーンズ・デザインのオーソドックスな60年代的流線形状を有していましたが、エアロダイナミクスに造詣のあったジム・ホールによって、カウルデザインは大胆に改変されていきます。
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1960-63 Lotus 18/21/24

意外なことに、ジム・ホールにはF1参戦経験があります。ロータス製F1マシンを、あり余る個人資産で購入し、1960年、61年、62年の3年間に、USグランプリ1戦のみにスポット参戦しています。さらに63年になるとヨーロッパに渡り、BRP(British Racing Partnership)チームからフル参戦(全10戦中9戦に出走)を果たします。最高位は5位(フランスGP)、総合12位でシーズンを終えています。
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1963-65 シャパラル・2A

2作目の2Aから、すでにレーシングカーで主流となっていたミッドシップが採用されます。まだ鋼管スペースフレームが当たり前の中、2Aには(パワーボート譲りの)FRP製モノコック・シャーシが採用され、早くも独創性を主張しています。(ボディ下部の茶色はFRPの色そのもの)
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ごく初期のシャパラル2(2Cが世に出て、2Aとして区別するまで、単に2と呼ばれていました)は、末期のシャパラル1に似たカウルデザインでした。特徴的な形状のチンスポイラーは、高速時にノーズリフトが発生したため、GMの風洞実験を受けた上で取り付けられたとのことです。
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2Aは、1964年シーズンに向けての改修で、シボレーのR&D部門から供給を受けた、オートマチック・トランスミッション(AT)と門外不出のアルミ製ブロックを持つスペシャル・エンジンを搭載しています。このスペシャルエンジンのエキゾーストは、8本独立して宙を向いていることでビジュアル的インパクトのあるものでした。(元祖竹ヤリ)また、ATはその後も一貫して使用され、シャパラルの象徴となります。

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咥えタバコでシャパラル・2Aのシートに収まるジム・ホール

1964年シーズンのシャパラル・チームのもう一台、ロジャー・ペンスキー車はマニュアル・トランスミッションのままで、またエキゾーストパイプも一般的な集合タイプのままでした。
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フェンダー上にルーバー、ボンネット上にエアダクトなどが追加された後期モデル。

2AのFRPシャーシは、1963年に2基、1964年には追加で1基、計3基が製作されます。1965年までCan-Amの前身となるUS国内のスポーツカーレース(USRRC)で使用された後は、世界耐久選手権むけ 2D (1966) および 2F (1967) に改装されています。

1963-64 シボレー・コルベット GS-II/GS-IIb

シャパラルには、なぜか2Bと命名された車がありません。これは長らくミステリーとされていましたが、今では、2Bに相当する車は、コルベットの先行開発車 Grand Sport IIb である、いうのが定説となっています。
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Chevrolet Corvette Grand Sport II

シボレーのR&D部門で1963年に造られた GS-II はスチール製モノコックとFRPボディを持っておりました。翌64年にはモノコックの材質がアルミに置き換えられた GS-IIb となります。このGS-IIb用アルミモノコックがシャパラル2Cに転用されたいうことです。

1965 シャパラル・2C

上で書いたとおり、モノコック・シャーシをFRP製から GS-IIb 譲りのアルミ製に置き換えた車が、この2Cです。目的は軽量化で、50kgほどの減量に成功しています。ボディ後端に可動式スポイラー(フリッパー)を装備し、独創性を誇示しています。

このアルミ製シャーシは、1965年に1基、1966年に追加で1基、計2基製作され、 2C (1965)、2E (1966)、2G (1967-68)の3モデルに対し、4年という長きに渡り使用され続けます。

1966 シャパラル・2D

国内レースを席巻したシャパラルは、1966年から世界耐久選手権に、(フォードに倣って)ルマン24時間をメインターゲットとして参戦を開始します。2Dはそのために2Aをクローズドボディ化したものです。(2Cではなく2Aがベースになったのは、長距離レースのシャーシにはアルミよりもFRPの方が向いている判断されたのでしょう)2台が造られました。

2Dの開発途中でフリッパーの廃止、ヘッドライトの4灯化、インダクションボックスの設置などの変更が行われます。

実のところ、歴代シャパラルは奇抜さゆえか、レースでの完走率が低かった・・・特に耐久レースでは極めて低かったのですが、ルマンと同じ6月に開催され、その前哨戦となるニュルブルクリンク1000kmレースでは、ヨアキム・ボニエとフィル・ヒルが駆る2Dは予選2位を叩き出し、決勝でも2台のフェラーリ206Sを抑えて総合優勝を果たしています。
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2Dは世界耐久選手権には全8戦参戦したうち、7戦でDNF(リタイヤ)、唯一の完走がこの優勝でした。喜びのあまり、ヒル(PH)とボニエ(JO)とがピットに残した落書きが有名です。
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「Chaparral was here(シャパラル参上)」の後は「You better believe it(本当なんだよ)」と茶目っけたっぷりに続きます。第2次大戦のアメリカ軍人らで流行った落書き、「Kilroy was here(キルロイ参上)」のパロディなのでしょう。日本ではほとんど「族」同然の行為と非難されそうですが、これでもヒルは、フェラーリでルマンを3勝(1958/1961/1962年)、F1でも同じフェラーリでワールドチャンピオン(1964年・アメリカ人初)となっているビッグネームなのです。この時、ボニエは現役のF1ドライバーでした。

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ヒルはレーサーとしては異例にも、USの著名な経済誌
ニューズウイーク(1961年7月号)の表紙を飾っています。

続くルマン24時間レースは、フォードGT40 Mk.IIが宿敵フェラーリを完膚なきまで叩きのめし、1位から3位までを独占したことで後年まで語り継がれる年となりました。
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前戦の優勝で勢いづいていたはずのシャパラルは、フォードとフェラーリの壮大な頂上決戦の脇で慎ましやかに走ったに過ぎず、ヒルとボニエのドライブで予選を総合10位で通過するも、
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決勝では111ラップしたのち、オルタネーターの破損でリタイアを喫しています。
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1966 シャパラル・2E

ジム・ホール一番のお気に入りで、もっともシャパラルらしい、といわれるのが2Eです。USRRCから発展したCan-Amシリーズを走りました。

サイドラジエターのためのコクピット左右のクーリング・ポッドと巨大な可動式ハイ・ウイングを特徴としています。(ハイ・ウイングはシャパラルとGMの関係者の連名で特許登録されています)シャーシは2c以来のアルミモノコックが選ばれています。

1967 シャパラル・2F

前年に続き、世界耐久選手権の参戦は継続されます。

2Fは2Dの改修版で、シャーシには2A、2D譲りのFRPモノコックが継承されましたが、2Eに倣って、サイドラジエター、ハイウイングが採用されるなど、見た目は大きく変わり、さらにエンジンも、5.2Lのスモールブロックに代わり、7Lのアルミ製ビッグブロックが採用されました。これで排気量は仮想敵GT40と肩を並べましたが、増大したパワーによるATのトラブルに悩まされ続けることになります。

1967年のルマン24時間は昨年に続き、物量にモノを言わせるフォードと逆襲に燃えるフェラーリの総力戦となりましたが、フェラーリは雪辱を果たせず、フォードGT40 Mk.IVが2台のフェラーリ330P4を抑えて総合優勝を果たしています。
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シャパラルは2台の2Fをルマンに参戦させています。前年は様子見の意味合いもあったものの、本年は秘かに期するものがあったようです。
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#7のフィル・ヒル/マイク・スペンス組の2Fは2日目の早朝まで上位を維持するも、結局、持病のATトラブルで225周でリタイアを喫しています。
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1967-68 シャパラル・2G

2Eのスモールブロックを7Lビッグブロックに換装したモデルが2Gです。本来、1968年シーズンは次期モデル 2H が走る予定でしたが、開発が間に合わず、2G が2年連続で走ることになりました。

耐久レースを走った 2F 同様、ATトラブルに悩まされ、2年間で1勝もすることがでできませんでした。

さらに悪ことに、68年の最終戦ラスヴェガスではジム・ホールは自身のドライバー生命が絶たれるほどの大事故を起こしてしまいます。
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1969 シャパラル・2H

すべての設計を一新したため、開発は遅れに遅れ、本来1968年シーズン用に準備されていたものが、レース・デビューは1969年シーズンまで待たれました。

空気抵抗を極力少なくするために、車高と車幅が極限まで詰められたウェッジシェイプ形状のボディは、従来のシャーシにかぶせる構造ではなく、モノコックの一部としてフレームと一体化された構造になっています。またそのウエッジシェイプ形状は空力的付加物なしで十分なダウンフォースを発すると考えられていましたが、結局、フリッパーが、さらには巨大なハイ・ウイングが装備されることになりました。

2Hは、コンセプトが奇抜すぎた上、持病のATトラブルによる機械的信頼性の低さも相まって、シャパラル史上最悪の失敗作となっています。(6戦にエントリーし、2回完走(4位と5位)、2回DNF(リタイヤ)、2回DNS(出走せず)の記録を残しています)

当初は下の構想スケッチに忠実に、ドライバーは完全にモノコックの中に入り込む構造でありましたが、ドライバーのジョン・サーティースに拒絶され、しぶしぶながらドライバーの頭がモノコックから外に出るよう手直しを受けました。この改装は2Hの空力特性をかなり悪くするものとなりました。
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1969 シャパラル/マクラーレン・M12

Can-Am 1969年シーズンをシャパラルとドライバー契約したジョン・サーティスは、シーズン前のテストで2Hの戦闘力が一向に改善されないことに業を煮やし、2Hがまともに走るようになるまで、マクラーレンの市販レーサーM12でレースに出場できるようジム・ホールに求め、ホールはしぶしぶながらそれを認めました。

Can-Am 1969年シーズンは全11戦あったのですが、サーティスは最初の3戦はM12で走って、「3位入賞」、「リタイヤ」、「12位」の成績でした。

次の3戦は2Hで走って、「4位」、「5位」、「リタイア」とまずまずの成績を得ていますが、第7戦はM12に戻り、「リタイア」で終わっています。第8戦は病欠。

第9戦、10戦は再び2Hに乗るも、「出走せず」、「リタイヤ」、最終第11戦は、M12のエントリがあるも、「出走せず」。(おそらくサーティスとジム・ホールはケンカ別れしたのでしょう。サーティスは過去にフェラーリでもそうであったように、マシンやチーム体制に満足できなかった場合、こうなるパターンは多いです)

M12のコクピットでAUTO SPORT誌を読むサーティス

1970 シャパラル・2J

2Hで始まったイロモノ路線は次モデルでも継承されます。

2Jはスノーモービル用エンジンで駆動するリアの2つのファンを持ち、車体下部の空気を吸い出しダウンフォースを発生させています。これはシボレーR&D部門からの発案でした。ボディ横に「レキサン」(ポリカーボネートの一種)のステッカーが貼ってありますが、シャーシと路面との隙間を埋めるスカートの材料です。

その特異な機構から、2Jは「真空掃除機」とあだ名され、性能的アドバンテージがあることは明らかでしたが、さほど結果に恵まれず、4戦にエントリーして完走1回(6位)、2回DNF、1回DNS、ポールポジジョン2回で終わっています。翌年からファンの使用禁止が決定されると、シャパラルは70年一杯でCan-Amへの参戦を取り止めます。

特徴的なファンとスカートの形状が分かるショット。
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フロントタイヤ側
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2J登場から8年後の1978年、F1第8戦スウェーデンGPに、2J同様、後部にファンを持ったブラバム・BT46Bが登場します。ニキ・ラウダのドライブでデビュー戦で優勝するも、他チームからの抗議で、スウェーデンGPの優勝は認めるが即刻使用禁止との裁定を受けます。
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PlayStation 用ゲームソフト「グランツーリスモ」で使用する「レギュレーションの枠にとらわれない地上最速のレーシングカー」という企画に応してレッドブルが発表した、架空のレーシングカー X2010、およびその発展型 X2011、X2014 は全て「ファン・カー」でありました。
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2Jと併せて、シャパラル最後のレース活動として言及しておかなければならないクルマがあります。

1970 Chaparral Camaro

SCCAのトランザム・シリーズで長年、カマロ・ユーザーであったペンスキーチームは、1968年に続き、69年のシリーズも圧倒的強さで制するも、AMCに多額の契約金で引き抜かれてしまいます。シボレーは急遽、1970年のトランザム・シリーズにカマロを走らせるチームが必要になりました。そこで白羽の矢が立ったのが、シャパラルでした。

シャパラル・カマロは3台製作され、ジム・ホールを含む4人のレーサーによってドライブされました。

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Can-Amでは手馴れのシャパラルもツーリングカーは勝手が違ったようで、ライバル、マスタングやジャヴェリンの後塵を拝します。

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成績が振るわなかったチームは1970年シーズン一杯で解任され、併せて1953年から始まったジム・ホールの18年に渡るレース活動にも終止符が打たれました。

シャパラルの市販キット

上で紹介した歴代シャパラルの模型は、手馴れのビルダーが微に入り細に渡るまで拘ってスクラッチしたものだと思われます。そういった製作技術がない人でも卓上にシャパラル・コレクションを展開することができるのです。シャパラルが活躍していた60年代に市販されていたキットを入手できれば・・・なのですが。

当時のシャパラルのキットはスロットカーと関連付けられることがほとんどです。というのも、シャパラルが活躍した時代は、まさに世界各地でスロットカーが大ブームとなっていた時期だからです。奇抜な形状のシャパラル各車はスロットカーのボディに引っ張り凧でした。

1950年代の英国に起源をもつスロットカーは、USにおいては1960年代初頭からブームの萌芽があり、その最高潮は1966年から1968年までの3年間だったそうです。日本には、1964年、レベル社の輸入元であったグンゼ産業によって持ち込まれます。1965年から1966年までのわずか2年間だけとはいえ、日本でも社会現象といえるほどの盛り上がりがありました。その後はブームの反動でしょうか、潮が引いたような静けさと、各メーカーの倉庫に過剰在庫だけが残されたということです。

motionpicture
ここに当時のキットを私の出来る限り多く紹介いたします。入手にあたって参考にしていただければ幸いです(笑)。(日本製品も少なくありません。当時、プラモデルは積極的にUSに輸出されていただけでなく、国内でも「日本カンナム(1968/69年)」が開催されるなど関心の持たれたレースを走っていたマシンであったからです)


American Model Kits


COX

シャパラルのキットを語るにあたり、一番最初に出さなくてはならないのはUSのCOX社でしょう。エンジン模型メーカーであったCOXは、60年代のUSで一大ブームとなった電動スロットカー市場には、やや遅れて1964年から参入し、歴代シャパラルを精力的にリリースしています。(1969年にスロットカー生産から撤退)

COXが凡百の他メーカーと異なるところは、実際にシャパラルチームのスポンサーであったことです。

ジム・ホール公認シャパラル
「こいつはまさしくオレの車だ」

COXとシャパラルの関係は1965年より始まっています。COXのステッカーが、2Aの後期モデル(1965年)から2G(1967/1968年)まで貼られているのが確認できます。
2A Late model (1965)
2C (1965)
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2D (1966)
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2E (1966)
2F (1967)
cox_2f
2G (1967-68)
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COXは、当時のUSでメジャー・スケールであった1/24で2A、2D、2Eの3種を出していました。2Eには「EXCLUSIVE」(独占的)の表示がされています。
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cox_2d
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2EのRTR(Ready To Race:完成品)バージョン。
cox_2e
COXのみならず、当時のスロットカー・キットはフタを開けると、ブリスターパックを駆使したパッケージングで豪華に見える演出がなされていました。(実際、高価なオモチャでした)このブリスターパック装飾は日本のプラモデル業界にも持ち込まれ、大スケールの高価なキットからそれなりの価格帯のキットまで好んで用いられるようになりました。
cox
小型エンジンを得意とするCOXは、1/20でシャパラルのエンジンカーも出していました。これはUコンの自動車版といったもので、張られたワイヤーに沿って車を走らせるものです。
20scale_engine_powered_cox
スロットカー・ブームが去ると、COXのみならず多くのメーカーは、スロットカー用ボディにシャーシ側プラパーツを追加し、モーターライズ・キット化あるいはスケールモデル化を行い、ボディの金型を延命させました。それらキットは、「スロット崩れ」の蔑称で呼ばれることもあったそうです。

追加されたパーツ群。
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ストロンベッカー

日本では一部マニアにしか知られなかったUSのストロンベッカーは、ソリッドモデル時代からプラモデル創成期に渡り存在した老舗模型メーカーです。ここは1/24のシャパラル2A、および1/32で2A、2D、2Hのスロットカーをリリースしていました。

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1/32 2A
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ストロンベッカーで特筆したいのは、心臓部であるモーターは日本製だったということです。(実のところ、この時代のスロットカーのモーターはほとんど全て日本製でした。ただし、ストロンベッカーのモーターは著名なマブチ製ではなく、五十嵐電機製でありました)
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ストロンベッカーと五十嵐電機との間には強固な結びつきがありました。
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ラスキット

ストロンベッカー同様、日本ではなじみは薄いものの、本場USでは極めて競技志向の強い高性能スロットカー・メーカーとして記憶されています。シャパラルでは、1/24で2Cと2Dの2種を出していました。
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競技性を高めるため、ボディはバキュームフォーム成形のポリカーボネート製。玄人向け。
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ラスキットはワークス・チームを有しており、そのチームが全米各地のスロットカー・サーキットを巡ってレースを通じて行ったセールスプロモートは伝説となっているそうです。
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Team Russkit
この頃のアメリカ人はスーツ着用がデフォでした。

以上はスロットカー・メーカーの作でしたが、以下にプラモデル・メーカーの製品を紹介します。

レベル

US最大の模型メーカー、レベルは、USで主流の1/24の他、ヨーロッパで主流の1/32のスロットカーを販売していました。シャパラルでは、1/32で2Aを出しています。

1/32 2Aとその中身。
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ブリスターパックではありません!
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1/32 2A スペアボディのボックスアート。このボックスデザインって、タミヤのRC用スペアボディのものにそっくりですね。年代を考えると、タミヤがレベルを参考にしたということになります。

モノグラム

レベルに次ぐ業界の雄、モノグラムは1964年にスロットカー市場に参入、1968年に撤退しています。スロットカーでは1/32と1/24を出していましたが、シャパラルは1/24で2Aと2Dを出しています。

どのメーカーもボックス・デザインは凝っており、箱の内側には展示用に使う衝立も用意されていました。

モノグラムはアクセサリーパーツをタイガー・ブランドで出していました。(モノグラムのみならず、どのメーカーも痒いところに手が届くオプションパーツ群を用意していました)
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家庭用の 1/24 コースセットも市販されていました。(アメリカの家は広かった!) 実はモノグラム以外のUSメジャー・メーカーはもちろんのこと、日本でも少なくないメーカーが1/24のホームコースを出しておりました。飛ぶように売れたカーは、国産であればモーター込みで1,000円程度の一方、コースは1万円前後という高価格もあって、ほとんど売れなかったそうです。(1965年の大卒初任給は2万4,000円程度)
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2Aに続く2Dでは、最初からスロットカーとディスプレイキットの2バージョンが同時リリースされました。なんと両者は同一のパッケージで、スロットカーはボックストップに貼られた丸いシールで区別されました。

スロットカー版
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ディスプレイキット版

以下の通り、ディスプレイキットには各種ボックスアートが存在していることで、長く販売されていることが分かります。



1980年代には、モノグラムの輸入代理店であったハセガワによって国内販売されています。

オーロラ K&B

レベル、モノグラムに次ぐ第3のメーカー、オーロラは「K&B オーロラ」名義で、2Aのスロットカーを 1/24 と 1/32 の2種で出していました。(K&B はCOX同様、模型用エンジンのメーカーで、当時オーロラに買収され子会社となっていました。1964年にスロットカーに参入、1968年に撤退)

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この 1/32 には(まだ?)オーロラのロゴが入っていません。
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ディスプレイモデルは1/25と1/32で売られていました。「スロット崩れ」と思われます。(1/25は、1/24だったものを、USカーモデルの主流スケールである1/25と称しているのでしょう)

1/25
25aurora
1/32
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1/32のピットマン・フィギュア同梱版
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1/32の箱替えバージョン

スケールモデルの世界に空前のミリタリーブームが来ると、オーロラは1/25シャパラルをUS空軍機イメージに仕立て上げ、延命を図りました。
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amt

3大メーカーの後に着けるプラモデルメーカー amt (Aluminum Model Toys) は、スロットカー市場に参入するにあたり、スロットカー専業メーカー、ダイナミック社とジョイントして商品を出すことにしました。1970年に amt はスロットカー市場から撤退しますが、ダイナミックはスロットカー市場に残り、販売を継続させています。

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ご多分にもれず、amtも「スロット崩れ」のディスプレイキットを出しています。当初、1/24スケール表記でしたが・・・

まもなく1/25スケール表記となっています。

amtのキットは英国フロッグにOEM提供されました。(1/24スケール表記です。1/32がスタンダードな英国では1/24でビッグスケール扱いであることは興味深いところです)

ホーク

米国最古のプラモデルメーカー、ホークがシャパラルを初めて模型化したメーカーと言われています。ホークは1/32でスロットカーおよびディスプレイキットの2Aを出していますが、スロットカーとディスプレイキットのどちらが先の販売だったかは不明です。
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1/32 ディスプレイキットのボックスアート2種。ホークのキットで特筆すべきは、1964年にペンスキーが駆った集合マフラー仕様のマシンをモデル化していることです。


このシャパラルとマセラティの2台入りキットは、キリル文字で分かる通り、ソ連製です。2台ともホーク製のコピーとのこと。珍品です。
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リンドバーグ

リンドバーグもUSのプラモデル黎明期に存在したメーカーとして名を残しています。この1/32の2Fは、モーターライズという点で日本製OEMっぽいですね。(もしや、タミヤのOEMでしょうか?)

パルマー

日本では全く知られていないUSの模型メーカー、パルマー(パーマー?)社ですが、私も知りません。1/32の2Aを出していて、ボックストップには、「スロットカーに最適」と流用を促しています。29セントから、39セント、60セントと値上がっていく過程には興味深いものがあります。



ラット・フィンクで知られたエド・ロスらによるデフォルメキット・ブームがありましたが、それに追随したのでしょうか?こんな変わり種も出しています。
palmer

レンウォール

金メッキされたボディを持つ2A。詳細不明ですが、エンジンなども再現されたフルデティールモデルとのこと。どこかの金型の流用でしょうか?

IMC

1966年創業の若いプラモデルメーカー IMC (Industro-Motive Corporation) はスロットカーとは無関係に、自社の 1/25 ディスプレイキット・シリーズの一台として、極めて精密な 2E を出しています。
imc_inside
このキットの金型は80年代半ば、日本のユニオン模型の手に渡り、長らく日本の市場でユニオン模型の製品として販売されていました。

UPC

UPC (Universal Powermaster Corporation) はメーカーというよりはディストリビューターで、1960年代から70年にかけ、主に日本製キットを自社ブランドでUS国内で販売していました。この 1/32 シャパラルは、プルバック式ゼンマイ(friction Motorized )という極めて日本的な駆動方法を採用していることから、日本製OEMであることは間違いないでしょう(イマイ→バンダイ製とのことです)
32upc


Japanese Model Kits


以下、日本のメーカーによる製品です。大メーカーから弱小メーカーまで、意外にたくさんあって驚かされます。(ちなみに当時の日本では「チャパラル」と呼称されていました)スケールの大きい順にご紹介いたします。

1/16 スケール

テトラ模型

シャパラル最大スケールは 1/16 で、テトラ模型製が唯一。1967年発売。全く知らないテトラ模型ですが、ミリタリー方面では伝説的なメーカーだとか?

キットは 2C を謳っています。箱絵を見るに、フリッパーを装備するなど、確かに 2C っぽいのですが、実はこのクルマは、2C のフリッパーを装備した 2A なんです。

1965年シーズンのシャパラル・チームは2台体制で、ジム・ホールが最新型の 2C を、ハップ・シャープがフリッパーを装備した最終型の 2A を走らせていました。そのシャープ車をキット化したものと思われます。
chaparral_2a_1965_01
その輸出版。当時、積極的に日本製モデルをUS市場で販売していたパラマウント扱い。

1/20 スケール

バンダイ

1/20 ではバンダイ製の 2F が唯一。現在、ガンプラ人気で我が世の春を謳歌するバンダイですが、1960年代末に倒産したコグレとイマイ(どちらも自動車キットが得意だった)から継承した資産と人材を、プラモ業界への参入の足掛かりとした後発組でした。この 2F は1970年製ですので、旧イマイのスタッフがバンダイに移って間もない頃の作でしょう。

1/24 スケール

日本で初めてシャパラルがキット化されたのは1966年のこと。ナカムラ(2月・2Aか2C)、LS(4月・2C)、アオシマ(11月・2A)の順で、どれも(スロットカー流用を見越した) 1/24 でした。

アオシマ

アオシマは2Aをキット化。アオシマ・ブランドから受ける印象ほど内容はデタラメなわけではなく、スロットカーへのボディ流用に耐えうるクオリティがありました。(US製キットのコピー?)

会社のロゴが3代に渡るほど長らく販売されていた模様。(年代順に並べてあります)


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輸出版

LS

LSは2Cをキット化しています。最初はスロットカーとして。以後同じボディをゼンマイ動力、モーター動力、リモコン制御と手を替え品を替え、市場に出し続けます。

24ls_2c



LS倒産後、金型は有井に流れ、20年もの時間を空けて有井ブランドで販売されています。
23arii

オダカ

1970年製。葛飾区に本拠を置く尾高産業は、日本プラモ創成期からの参入メーカーでありましたが、一貫して駄菓子屋などをメイン市場にしたB級メーカーでした。商品のほぼすべてに、他社メーカーの金型を再利用していたとのことですが、この2Dも元は、カー・キットで定評のあった三共製(1968年)とのことです。
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ボックスアートにあるゼッケン61の2Dは実在しません。しかし、車体のデティール、非常に大きなテールフィンから1967年のセブリングを走った仕様と思われます。(実際はゼッケン5でした)なお、2Dの仕様はレース毎に違うと言っても過言ではないほど変化に富んでいます。とくにテールフィンの形状は多様です。1967Sebring

モデラーズ

恵比寿の一模型店「Mr.クラフト」が、80年代末期のバブル景気の中、自身のブランド「モデラーズ」から、なんとインジェクション・キットとして発売したのが、この 1/24 の2Dです。実車取材による考証と最新の金型技術で作られた2Dは、「決定版」と言えましょう。ただ、フジミの1/24エンスージアスト・シリーズが1,500円の時代、4,200円とかなり高価な設定でありました。

キットは見事優勝した1966年のニュルブクリンク仕様ですが、デイトナ仕様、セブリング仕様をバリエーション展開するにあたり、ボディのみ金型投資の必要がないレジン製で出し、それ以外のパーツは自社のインジェクション・パーツを流用して販売しました。

Mr.クラフトより、上記キットのための現地取材の副産物(主産物?)として、3,000冊限定、定価¥10,000+税という強気な価格設定で発行された写真集。1989年の現地取材から出版にこぎつけるまでに8年ほど掛かっています。私も持っていますが、すでにバブル経済は崩壊して久しい中、それでも出版を敢行したMr.クラフトの熱量を感じる一冊です。
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Mr.クラフト倒産後、金型はフジミに渡り、現在でも入手できるキットとなっています。

ユニオン

インターナショナル・スケールの 1/24 ではなく、USでメジャースケールの 1/25 の2E は、上で紹介したとおり、IMCの古い金型がユニオンの手に渡り、1983年よりユニオン名義で国内販売されていたもの。

イマイ/バンダイ

先に書いたイマイとバンダイの経緯から、このイマイ製 1/24 2E (1969年製)と

このバンダイ製 1/24 2E (1970年製)は同じものなのでしょう。

クラウン模型

このクラウン1/24も詳細不明。上のキットが流れて再版されたもの?

ミツワモデル

スロットカーブームとは無関係の1970年発売。当初のスケールは、1/26 と我が道を行くものでした。
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「エスコン」とはリモコン操作にあたり、走行用の他、ステア用にも別にモーターを1個用意するという贅沢な機構(笑)とのことです。
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26mitsuwa

後になって、中身は一緒でスケール表示だけ 1/24 に変更されます。(笑)


エスコン仕様。
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韓国のアカデミーがコピーを出しています。金型が流れたのではなく、デッドコピーしたものと思われます。

東宝模型

誰も知らない東宝模型は、1964年ごろに茨城県古河市で創業したメーカーとのこと。一大ブームとなったスロットカー市場にも首を突っ込んでいたようです。1/24のインジェクション・キットとしては世界でも唯一無二と思われる、この 2J は「スロット崩れ」でしょうか。

1/28 スケール

大滝

大滝は希少な2Hをモデル化していますが、残念ながら変則スケールの1/28でした。


上の輸出仕様

子供受けする色使いで箱絵をマイナーチェンジ。

1/32 スケール

1/32は、ヨーロッパでは自動車でもメジャーなスケールですが、日本では駄菓子向けチープキットの定番スケールに甘んじています。多くのシャパラルが1/32でキット化されていますが、玉石混合の中、輸出に耐えうる品質を持つキットも含まれていました。

セントラル

1/32でのキット化では、セントラル模型が 2E で先陣を切っているようです。ここは小スケールの駄菓子屋キット専門のメーカーでしたが、現在の目から見てもマニアックな車種選択と精密なモールドで評価されています。

まずはゼンマイ駆動の100円キットを出した(1967年)後、250円の電動モーター仕様も出しています。(1968年)

セントラル製 2E は輸出もされ、パラマウント・ブランドで売られました。(箱絵でセントラル由来が一目瞭然です)
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箱絵違い
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このAHM (Associated Hobby Manufacturers)ブランドの 2E は、箱絵の印象からセントラルのOEMと思われます。(AHMは日本製プラモデルを中心に、USで海外製OEM製品を売っていた販社です)
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日本ホビー

1968年には日本ホビーが、ロータリースイッチ装備を謳った 2E を150円で出しています。これはセントラルと無関係でしょうか?こんな小さいなパイでの競作は考えづらく、箱絵の印象からも関係ありそうなんですが・・・
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クラウン模型

クラウンは1976年とずいぶん遅くに 2E を出しているのですが、これはセントラルの金型がクラウンに流れたものと思われます。

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バンダイ

この 1/32 2E は詳細不明なのですが、元はイマイ製と聞いております。(上で紹介したUPCにOEMされてもの)

2Fも出しています。

タミヤ

日本の模型メーカーを代表する大タミヤは1/32で2種の2Fを出しています。

1/24のスロットカーで成功したタミヤは、USと日本でのスロットブームが終わった後、まだブームの終わっていなかったヨーロッパ他向けに1/32のスロットカーを企画します。しかし時すでに遅かったのでしょう、1/32スロットカーはシリーズ化されることなく、ロータス30、1車種で終わってしまいますが、後に続くはずだった5種のボディが用意されていました。それらはスロットカー風金属製モーターライズ・シャーシと組み合わされ、「ミニレーサー」として販売されました。そのひとつがこの2Fです。(1968年)
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さらにその「ミニレーサー」の2Fボディは、無動力の、お子様向けお手軽モデル「ちびころレーサー」に転用されます。(1974年)

セントラル

セントラルは 2E に続き、2F も出しています。(1969年)
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このAHMブランドの 2F は箱絵の印象から(笑)セントラル製OEMでしょう。中身の画像もありますが、なかなかしっかりしたモールドを持っているのが分かります。
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宮内製作所

1966年に新規参入した埼玉県の業者、宮内製作所は1970年6月にモーター付、ピットマン3名 ジャッキ付きの2Hを250円で、同年9月にそのゼンマイ仕様を200円で出しています。翌年3月にはベスト化学に社名変更し、アクセサリを省いたゼンマイ仕様を100円で出しています。
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埼玉県蕨市の有井製作所は、倒産・廃業したメーカーから購入した金型を再利用した製品が中心のメーカーですが、この 2J は自社開発でしょうか?
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1/40

日東

日東は駄菓子屋向けチープキットに独自スケールの1/40を選択しました。(1969年)定価50円と1/32よりもさらに安い設定でした。
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2Aに続き、2Gもリリースします。同じく50円でした。
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箱絵違い。
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アリイ

有井による日東・再販版では、2Gは2Jと間違えられています(笑)
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働くクルマ

第44回 人形改造コンテスト

金賞

銀賞

佳作

佳作

ディオラマ

タミヤ本社 オープンハウス

1989 ランドクルーザー

パリ・ダカール出場車

実物大ミニ4駆

デイムラー・フェレット

2016/5/14-15 第55回 静岡ホビーショー (2/2)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 2017/02/04 横浜オートモデラーの集い (2/2) | POWER HOUSE MOTOR CLUB

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