2015/07/11-12 第3回ハイランドギャザリング

(E藤氏によるレポートです)
予定していたキャンプ・ツーリングとハイランドギャザリングの開催地が重なった為、これ幸いと今年もギャザリングを見学してきました。

キャンプ参加車は私の bimota DB4 の他、KTM RC8R、KAWASAKI ZX-6R、HONDA fazeの計4台でした。
(荷物はなんとでもなります、仮にデスモセディチであってもキャンプに行きますよ!)
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キャンプ地は八ヶ岳・南佐久郡南牧村の滝沢牧場。ハーレーのディーラーツーリングらしき集団もBBQに来ていました、このあたりのツーリングスポットのようです。キャンプ場使用料500円で、焚火台も貸し出してくれ、適度に放って置いてくれるので非常に気楽でした。
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地元の高級肉屋を見つけたので夕食は甲州牛だのワインビーフだのと豪勢になってます。馬刺しまで買っちゃいました。
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キャンプ地からハイランドギャザリング開催地の原村までは、八ヶ岳高原ラインを走っていく事ができるので、信号も無く快適な旅路です。トラックの迂回路なのかペースはいまいちですが、後ろに荷物を乗っけているので丁度いいくらいでした。

さて肝心のイベントですが、終わり頃だったからか、雨続きの天気でキャンセルがでたのか、参加台数が少なかったように思います。特に国産車は激減していました。

バイクの顔ぶれは去年からあまり変わっていませんでしたが、モーガンスリーホイラーが目を惹きました。これって新車で買えるんですね。(最新型はインジェクション仕様)

主催側曰く、クラシックバイクの後継者に悩んでいるらしく、興味があって乗りたい人がいたらサポートします。とのことでした。プラスチック部品の少ないバイクは、いざとなったら部品は金属から作ってしまえばいいので、根気さえあれば7・80年代バイクよりもいけるんでは?と考えましたかどうでしょうか??(編注:甘い見込み思われますが・・・)

1953 森銀内燃機 サンエイチ A型

森銀内燃機は、戦後、雨後のタケノコのごとく(一説には300以上)誕生したオートバイメーカーのひとつ。その中心であった静岡県は静岡市内に居を構えていました。

下のオーナーによる解説では『OHVの90cccで25馬力』とありますが、リッター280馬力のはずがなく(2.5馬力の誤植でしょうか?)、カタログデータでは3.8馬力、最高速度70km/hとのこと。エンジンは内製で、A型が2速ハンドチェンジ、B型が2速フットチェンジの違い。

森銀は90ccのサンエイチに次いで、OHV・125cc・5.5馬力で4速ミッションを持ったサンエイチ・スーパー125を発売しますが、他の弱小メーカーと違わず、一頭抜きん出ることなく消滅してしまいます。

カワサキ250 メグロSG

1960年、カワサキと業務提携を結んだメグロは、1963年にはカワサキ傘下となり、カワサキ・メグロとなります。翌1964年には吸収され、メグロブランドは完全に消滅するに至りますが、1964年から1969年まで販売された、このカワサキ250 メグロSGはメグロが名称に付いた最後のモデルとなります。

カワサキ W1S

アップマフラーを付けたW1S(1968-1970)のカスタムでしょうか。Wシリーズには、北米輸出専用でごく少数のみ販売されたW2TTというスクランブラ―仕様が存在しますが、このマフラーはW2TT用か、そのレプリカと思われます。

BMW R75/5

 60年代末の日本車の大排気量化、高性能化に対するBMWの回答が、このR75/5に初めて積まれた新型フラットツインでした。このエンジンは90年代半ばまで使用されます。

AVON製(社外)フェアリングを装着したモデル。

BMW R27

R27は、戦後のBMW単気筒モデルにおいては、R24(1948)、R25(1950)、R25/3(1953)、R26(1956)に続く系譜にあり、1960年から1966年まで生産された『BMW最後のシャフトドライブ単気筒』と称されています。

KREIDLER Van Veen 50

クライドラーは70年代のグランプリ50ccクラスを席巻したメーカーで、このレーサーは1972年モデルとのこと。(クライドラーは71年、73年は優勝していますが、72年は僅差で2位に終わっています)

ヴァン・ヴィーンは良く知られたロータリーバイクOCR1000を造ったその人で、この車両に関しては、チューナーとして参画しています。(この頃のクライドラーのライダー、ヤン・デ・フリースとヴァン・ヴィーンとは、同じオランダ人でつながっていました)

DUCATI Elite 200

(ドゥカティジャパンHPより)
1959年当時としては最も洗練されたバイク、エリート200が加わった。高性能でありながらライディングの喜びも味わえるエリート200は、全世界のバイクファンの心を虜にした。楽しめて多目的なライディングに適していたため、当時”シンプルでじょうぶ”なバイクと呼ばれていた。

ファビオ・タリオーニがマリアンナや初期の単気筒レースマシンと共に世に送り出した画期的なテクノロジーを結集した200エリートは、当時のスポーツプロダクションモデルと言えた。

200ccエンジンは200エリートで初めて登場し、続いて60年代初頭の250スクランブラーの元となった200モトクロスに搭載された。

美しさ、魅力的なハンドリング、そして極限まで細部に拘った200エリートは、イタリア国内のモーターサイクル市場が特に冷え込んでいた時期に海外では大好評を博した。

200エリートは大成功を収め、1965年に生産を終えるまで長寿モデルとして君臨した。
(引用終わり)

1961 DUCATI 250SCR

DUCATIによる250スクランブラ―は公式には1962年からとなっています。オーナーが1961年モデルと標榜するこの車両は、この年のロードモデル(250ダイアナ)をスクランブラーに改造したものなのでしょうか?(メーカーも同じく、そうしてスクランブラーを造ったわけですが)

別のスクランブラ―。

DUCATI 250

1956 Moto Morini 175GT

1955 Parilla 175 Sport

MV Agusta 125 Ovunque

オバンク(ovunque)の意味は英語で anywhere。1951年から1954年まで生産されました。

1953 Motobi B98

1950年から造られたモトビ最初の市販車。

Vespa 125

それまでの98ccから125ccに排気量が拡大され、1948年から市販されたモデル。

Gilera 250 Saturno

Berneg 175 Fario

イタリアン・ド・マイナー車・・・Berneg(ベルネグと読むのでしょうか?)は1955年から1961年までわずか7年間、ボローニャに存在していたメーカーだそうです。同車は同社存続と同じ期間造られていました。正直、私はこのメーカーもモデルも全く知りませんでした。当初、タンクのロゴもつぶれて読めず、なんのヒントもない中、なんとか車種を特定できた自分をほめてやりたい(笑)。

ファリオは同社の2作目で、172.7ccツインは、スポーツで11馬力、ノーマルで8馬力を発揮し、OHCと当時としてはハイメカを有していました。
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Dellorto Carburetor etc.

Oldani Drum Brake

なんと新品(未使用品)です。レプリカでしょうか。

Vincent Comet

1935年から1955年まで生産されます。この500cc単気筒は、後に1000ccV型2気筒となり、ラパイド(1936–55)、ブラックシャドウ(1948-55)に載せられ、伝説となります。

1937 Triumph Tiger 90

500cc OHV単気筒。

Triumph Bonneville T140

1929 Triumph CSD 550

サイドバルブ550cc。
1929年=昭和4年当時、神戸の松尾医院で使用されていたモノが発掘された模様。当時のお値段は金1,100円とのこと。今の感覚では300万~500万程度でしょうか。意外に安かった?

1914 Triumph Junior

1914年から1922年までのトライアンフのエンジンは、ボア 64mm、ストローク 70mmの225cc・2スト単気筒で最高出力は2.25馬力、ギアは2速でノークラッチとあります。

1971 BSA B50SS

1925 BSA Model B

そのガソリンタンク形状から「ラウンドタンク」のニックネームを持つモデルBは、安価だったため、当時のBSAのベストセラーモデルとなったそうです。
249cc サイドバルブエンジンに2速ギアボックスを組み合わせています。

Royal Enfield 500 Bullet

Ariel NH350

1936 Ariel VB deluxe

1926 Douglas EW

右側から撮った画像が無いのが残念です。ダグラスは横置きフラットツインエンジンなのですが、左側からはスプロケカバーで特徴的な後側シリンダーを見ることができません。

Morgan 3Wheeler

 英国では3輪自動車は、税制上、サイドカーと同じ税額だったため、(日本でいえば軽自動車的な)確固たる市場がありました。その市場にスポーツ性を持ち込み、成功したのがモーガンです。

油温計のようです。

BSAも3輪車を出していました。「9馬力エンジンで税金4ポンド」と税金の安さを謳っています。
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3輪スポーツを語るにあたり、必ず引き合いに出されるのが「ボンド バグ 700E」です。1970年デビュー。2シーター700ccのバグの価格は£629の時、4シーター850㏄ではるかに快適なミニが£620だったため、商業的に大失敗。しかし今日、そのキッチュさからカルト的人気を博し、独特の存在感を示しています。モーガンとは逆に前1輪、後2輪ですが、むしろこちらのレイアウトの方が3輪では主流と思われます。

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ステアリング周りに見慣れぬレバーが・・・これが噂の点火進角調整レバー?(もうひとつはチョーク?デコンプ?)

モーガン3輪のエンジン供給メーカーとして著名なJAPですが、JAPと聞くと日本人として顔しかめたくなるかもしれません。しかし、それは濡れ衣というもので、創業者の「ジョン・アルフレッド・プレストウイッチ(John Alfred Prestwich)」の頭文字なのです。そしてJAPは、ジャップではなく、イヤップと発音する・・・そうです。

 1895(明治29)年、プレストウイッチが若干21歳の時に J.A.Prestwich & Co,ltd. を創業します。当初、当時の最新テクノロジーであった映画撮影用の機器を設計・製造していましたが、まもなく別の最新テクノロジーであった内燃機関にも興味を持つと、1901年より試作を始めます。JAP最初の量産エンジンは1903年製造の2.25馬力を発する293cc単気筒でした。(トラアインフに採用されました)ここから以後60年にわたるエンジンメーカーとしてのJAPの活動が始まります。(1904年から1908年までの5年間のみ、エンジンだけはなくオートバイ生産も行っていました)

 小さく、軽く、パワーがあると評価されたJAPエンジンは、英国の数十に渡るオートバイメーカーで採用され、英国以外にも、フランス、ドイツ、オーストラリアのメーカーで使われました。オートバイ用以外では、4輪用、軽飛行機用、ディーゼルエンジン、さらには産業用の据付エンジンすら製造しています。

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航空機用空冷V8、35馬力 (1910年)

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F3用水冷直列4気筒500cc(1953年)

1957年、ビリヤーズ・グループに吸収されたJAPは1963年に消滅しますが、スピードウエイ(トラックレース)用エンジンはJAP消滅後も引き続き第一線で使用され続けます。
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1987 JJ Cobas JY4

 JY4は空前のレーサーレプリカブームで市場が沸いていた日本からのオーダーで製作されました。アルミツインスパーをGPシーンにもたらしたことで著名なアントニオ・コバスによるフレームに積まれたエンジンは初期型TZR250のパラツイン。当時、200万円以上とあまりに高価であったため販売面では苦戦した模様です。

2015/07/11-12 第3回ハイランドギャザリング」への1件のフィードバック

  1. デスモセディチでもなんとか頑張ってキャンプにいきますが、その際はエキゾーストの取り回しにご協力願います。(シートバッグが載らないので)

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