2019/11/3 ホビーフォーラム 2019 (2/2)

これは絵ではありません。立体です。

1967 STP-Paxton Turbocar “Silent Sam”

1960年代半ば、エアクラフトデザイナー「ケン・ウォリス」は、自身が設計したガスタービンを積んだインディカーを形にするためのスポンサーを探していた。エンジンオイル関連会社「STP」のCEOで、インディ500の優勝に執念を燃やしていたチームオーナー、「ミスター500」こと「アンディ・グラナテリ」が関心を示してきた。

グラナテリが、ウォリスに「パッセンジャー・マウント・ミッドシップ」と「4輪駆動」(STPチームは、1964年から1966年まで4輪駆動のインディカーを走らせていた)のコンセプトも採り入れるよう進言したことで、「STP-パクストン・ターボカー」・・・通称「STPスペシャル」は、レース史上において、その特異さで唯一無二の存在となった。

ドライバーの左横に積まれたヘリコプター用「プラット・アンド・ホイットニー・カナダ ST6B-62」ガスタービンエンジンは、550馬力を発した。

その大パワーは、トルクコンバータ式1速オートマチックトランスミッションを介し、ファーガソン製4輪駆動システムを通じて、50:50で前後輪に配分された。

エアクラフトの設計者の作らしく、車体後部にエアブレーキが装備されている。

その静かなエンジン音から、STPスペシャルは「サイレント・サム」の愛称を頂くことになった。(あるいはエンジン音から「ヒューンカー(Whooshmobile)」と呼ぶ者もいた)ガスタービンエンジンの問題は、その重さ、そしてレスポンスの悪さであった。

実のところ、「4輪駆動」も「ガスタービンエンジン」も「パッセンジャー・マウント・ミッドシップ」もインディカーにおいては他に先駆者がいた。1932年に「4輪駆動」が、1955年に「ガスタービンエンジン」が、1964年に「パッセンジャー・マウント・ミッドシップ」がインディで試されている。

1932 Harry Miller 4WD Indy car

1955 SAC “Fire Boid”, The first turbine powered Indy car
エンジンはボーイング社製で175馬力の出力であった。

1964 Henry “Smokey” Yunick’s Indy car

1955年の初登場以来、1967年にSTPスペシャルが登場するまでに、ガスタービンエンジンを積んだインディレーサーは2台存在している。

1962 John Zink Trackburner

1962年、企業家でカーエンスージアストのインディ・チームオーナー「ジョン・ジンク」は、ガスタービンエンジンをミッドシップに積んだ「トラックバーナー」を参戦させた。

ドライバーは、なんとルーキー(インディ初挑戦)だった「ダン・ガーニー」であったことは特筆に値する。ガスタービンカーではルーキーテスト通過タイムを出せず、ピストンエンジンのバックアップカーに乗り換えている。

375馬力を発するボーイング製ガスタービンエンジンは、米海軍が無線操縦の無人ヘリコプターに使用していたもの。

1966 Jack Adams Aircraft Special

1966年、インディ・チームオーナー「ジャック・アダムス」は、1,325馬力を捻り出す大型ヘリコプター用「ゼネラル・エレクトリック T58 」ガスタービンエンジンを、コンベンショナルなフロントエンジン・リアドライブのロードスターに積んだ「エアクラフト・スペシャル」を走らせている。直線では 260mph (416km/h) を超えるパフォーマンスがあったと言われているが、当然、タイヤが持つはずがなかった。

ドライバーは「アル・ミラー」と「ビル・チースバーグ」の2名で、どちらも予選通過に至らず。アル・ミラーはピストンエンジンを積んだバックアップマシンに乗り換え、決勝に進んでいる。

1967 Indianapolis 500

STPスペシャルは当初、1966年のインディ出場を狙っていたが、熱対策に難儀し、マシンの製作が間に合わなかった。1967年のインディに満を持しての登場となった。

パーネリ・ジョーンズがドライブ。予選は三味線を弾き、あえて6位にとどまったが、決勝では圧倒的速さでスタートから171周までトップを走り続けた。

3周半を残した197周目でオートマチックトランスミッション内のちっぽけなベアリングにトラブルが発生し、ピットレーン入り口付近で息絶え、レースを終えることになった。

1967年のインディ500が終わると、インディ500主催者であるUSACは、ガスタービンエンジンの出力を抑えるために、吸気ダクトの断面積を3割以上減ずるという厳しい制限を行った。これは「最低2年は同一レギュレーションを維持する」というUSACの慣例に反する早急な措置であった。

1968 Shelby Turbine

STPチーム・オーナー、アンディ・グラナテリは1968年のインディ500用マシンの製作はロータスに依頼することを決めた。ケン・ウォリスは1967年限りでSTPチームからお役御免となり、仕事を探していた。

ケンは、ダン・ガーニーやキャロル・シェルビーといったレース界の大物たちに声を掛けると、STPスペシャルのハイ・パフォーマンスを目の当たりにしていたキャロル・シェルビーは、ケン・ウォリスが設計したマシンを使って、1968年のインディ500に参戦することを決めた。

マシンは1967年のSTPスペシャルとまったく同じコンセプトで作られた。4輪駆動のガスタービンエンジン車、パッセンジャーミッドシップ。

スポンサーは、男性紳士服の「ボタニー500」と「グッドイヤー」に決まった。ドライバーには、グッドイヤーのコネで「ブルース・マクラーレン」と「デニス・ハルム」というビッグネーム2名が用意された。インディ史上最強のチームとの前評判であった。

Caroll Shelby & Bruce McLaren

肝心のエンジンには「ゼネラル・エレクトリック T58」が使われた。1,325馬力を誇る最大出力は、吸気ダクトを面積を16平方インチ未満とするという新規制のため大きくそがれていた。ケン・ウォリスはレギュレーションを注意深く解釈した結果、内部に可変バルブを仕組んだ吸気ダクトを設計するに至った。エンジン静止時は「16平方インチ規制」を満たしているが、アクセル開度に合わせてバルブが開き、空気流量が増加されるというものだ。この構造の正否はグレーゾーン・・・否、限りなくクロに近いものであった。(シェルビーチームの著名なレースエンジニア「フィル・レミントン」は、この装置が自分たちのマシンに付くと知って、チーフエンジニアの座を降りている)

Bruce McLaren

インディ初挑戦のデニス・ハルムがルーキーテストを受けたが、平均速度157.2mph(251.5km/h)に留まり、可変バルブの効果は十分ではないことが分かった。その後のプラクティスでも2人は162mph(259.2km/h)を超えることはなく、トップチームよりも10mph(16km/h)は遅かった。

さらに、ドライバー2人は予測できないハンドリングの不安定さも訴えていた。(ハブの設計が悪いのではないか?)コーナーリング時のパワーデリバリーの唐突さも問題としていた。これはガスタービン特有の症状であったが、可変バルブによる吸気がそれを助長していたかもしれなかった。

2人のドライバーは明らかに苦悩の表情を見せている

公式予選初日の前夜、チームは緊急の会合を持った。公式練習期間中に2台のマシンが、レースをリードするどころか、下位で予選通過がやっと、ということがはっきりした。明日から始まる予選期間に入れば、USACの車両検査が入る。吸気ダクトの可変バルブが問題とされるかもしれない。違反・失格の裁定が下されれば、スポンサーの企業イメージに与える影響も小さくない。ここで無理する必要は全くない。シェルビーはレースから撤退の決定を下した。長居は無用。翌朝にはシェルビー・チームのガレージはもぬけの殻になっていた。

1968 Lotus 56

STPチームの依頼でロータスが製作したインディカーが「56」である。4輪駆動とガスタービンエンジンはSTPスペシャルから継続されたが、エンジンは550馬力の「P&W ST6B-62」から500馬力の「P&W STN 6/76」に替えられ、搭載位置はオーソドックスなミッドシップとなった。

斬新なウエッジシェイプのボディデザインは、そのトレンドのはしりとなり、ロータスにおいても後のF1、「72」に引き継がれている。

上の画像の左から2番目の人物はロータスのエース、「ジム・クラーク」である。5月のインディ500で、「56」に乗ることになっていたが、彼は4月のF2レースでの事故で帰らぬ人となってしまった。

1968 Indianapolis 500

STP&ロータスチームは、「56」4台と「STPスペシャル(改)」1台を出走させた。

パワー削減措置が取られたタービンエンジン車は、前年のような突出した速さを示すことはなくなっていたが、それでもロータスのシャーシ性能もあってか、予選1位と2位を占めることができた。

タービンエンジン車の熟成は十分ではなかった。終盤まで良いところにいながら、全車、完走できずにレースを終えた。

#20 アート・ポラード
予選11位。188周目に燃料系トラブルでリタイア。

#30 マイク・スペンス
プラクティス中に事故死。

#40 ジョー・レオナード
STPスペシャル(画像上・左)は、1968年のレギュレーションに
合わせるために改修を受けた。練習走行中に壁に衝突し、走行
不能となったため、レオナードは#60 の56に乗り換えている。

#60 ジョー・レオナード
ポールポジションを獲得。決勝はレースをリードする
も、191周目で#20と同じ燃料系トラブルでリタイア。

#70 グラハム・ヒル
予選2位。110周目にクラッシュして、
リタイアするまではトップに立っていた。

マイク・スペンスが練習走行中の事故で亡くなったが、彼の死は、ガスタービン車はコントロールの難しい危険な車だ、という勢力の意見を強めることとなった。

1968年のインディ500が終わると、タービンエンジンには、とうとう致命的制限が課された。1967年には26平方インチ未満まで許されていた吸気口面積が、1968年には16平方インチ未満とされ、それでタービンエンジンの戦闘力は十分に失われたのだったが、1969年には11.8平方インチ未満にまで狭められることになった。

始まりの終わり

1969 Jack Adams Turbine

そのような逆境の中、タービンエンジンをあきらめていなかったチームオーナーがいた。1966年にエアクラフト・スペシャルを走らせたジャック・アダムスである。1966年と同じくアル・ミラーがハンドルを握り、ミッドシップに「アリソン モデル 250」を積んだガスタービン車を走らせた。

メインストレートでは他車は210mph(336㎞/h)に達する中、ミラーの車は180mph(288㎞/h)までしか届かなかった。平均時速も 156.440mph(250.30km/h)に過ぎず、予選通過に4mph(5.6km/h)足りていなかった。それほど遅かったにも関わらず、最終的にアル・ミラーは吸気口面積を違反したとUSAFに指摘され、失格となっている。

Winner: Mario Andretti and Andy Granatelli

余談となるが、この年ついに、STPチームはインディ500を制している。アンディ・グラナテリは喜びのあまり、優勝ドライバーの「マリオ・アンドレッティ」にキスしている。

マリオが駆りインディを制した「ブロウナー・ホーク」は、彼が乗るはずだった4輪駆動車「ロータス64」のバックアップマシンで、アンディがこだわった4輪駆動でもガスタービンエンジンでもなかった。

1970 Jack Adams Turbine

ジャックアダムスは翌1970年も、「レオン・シロイス」をドライバーとしてタービンエンジン車を走らせたが、相変わらず平均速度157mph(251km/h)しか出せなかった。これがインディにおけるタービンエンジンの最後の挑戦となった。

エンジンは前年と同じ「アリソン モデル 250」、420馬力を発する小型ヘリコプター用ガスタービンエンジンである。

1971 Lotus 56B

ロータスは、4輪駆動もガスタービンエンジンもあきらめていなかった。1971年のF1世界選手権に「56」を投入することに決める。F1むけに改修された「56」は「56B」と名付けられ、エマーソン・フィッティパルディらがドライブしたが、エンジンの重さとレスポンスの悪さはどうにもならず、8戦に出場して最上位は8位で終わった。

Early model

Late model


Plastic Model Kits

1/12 Bandai – STP TURBINE CAR

お宝キット。

1/20 MPC – STP INDY TURBINE CAR No.40

比較的入手が容易なキット。

1/20 OTAKI – INDY 500 STP TURBINE CAR

幻のキット。ただし1/20はMPCのキットがあるので、よっほどのコレクター向け。

1/25 MPC – LOTUS STP TURBINE CAR

比較的入手が容易。ボックスアートに微妙なデザイン違いがある。

1/25 MPC / TOLTOYS – Lotus STP Indy Racer TURBINE WEDGE

オーストラリアの玩具メーカー「トルトイズ」へのOEMバージョン。

Mattel Hot Wheels (1969)

マテルの著名なミニカーブランド「ホットウィール」は、1969年モデルの1台にシェルビー・タービンを選んでいる。(同時にロータス56も選んでいる)

上で書いたとおり、シェルビー・タービンは不名誉な理由でインディアナポリス・モーター・スピードウェイから消え去った後、再びサーキットに現れることがなかった。そんなクルマを世界的玩具メーカーがミニカー化したことに誰もが驚きを隠せなかった。

1972 McLaren M12 (酒井 正)

1973 Lola T212 (津々見 友彦 )

1972 GRD S72 (生沢 徹)

TETSU IKUZAWA RACING PARTNERSHIP

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です