2018/11/03 ヤマハ歴史車両デモ走行見学会 (2/6)

1966 RA97 125cc





1968 RD05A 250cc







1980 TZ500 G (4A0)



1983 YZR500 (OW70)

ケニー・ロバーツがフレディ・スペンサーと6勝ずつ分け合い、レース史に残る熾烈なチャンピオン争いを展開したマシン。














1985 YZR500 (OW81)





1981 YZR750 (OW31)














1984 YZR700 (OW69)

1983年のAMAシリーズに向け、1982年型YZR500(0W60)の排気量をアップしたもの。1984年にはケニー・ロバーツのライディングでデイトナ200で優勝を飾っている。下のパネルの「1998年」表記は誤植と思われる。






1985 FZR750 (OW74)

FZ750ベースのTT-F1マシン。






1985年の鈴鹿8耐、ケニー&平ペアがトップを走りつつも、終盤わずか30分を残すところでマシントラブル、リタイヤというドラマ(悲劇)は未だ忘れられません。

80年代の空前絶後のバイクブームの中、化粧品メーカーはライダーという巨大市場に目を付けたのです。

1984年に資生堂から新発売された一連の男性化粧品「TECH 21」・・・ボトルデザインには、長年ヤマハのスタイリングを担当してきた「GKデザイン」が、イメージキャラクターには、ヤマハのワークスライダーで全日本チャンプの「平忠彦」が起用されました。

キャッチコピーは「自分は、一等賞が好きです。」

TV CMのモデルも平選手が務めました。天下の資生堂のCMですよ!

TECH 21と聞くと、私はムースをイメージします。

ムースは後発商品だったんですね。85年式8耐マシン発表後に新発売となっています。


このムース、散々使いましたよ。甘すぎる香りは決して好きではなかったんですけど。実のところ、ムースとヘルメットとの相性は最悪でしたね!

資生堂が平選手を起用した原点は、角川映画「汚れた英雄」(1982年)にあるのではないかと思います。主人公・北野晶夫演ずる草刈正雄のバイクスタントを平選手が担当したのは有名な話です。(ヘルメットは個人所有物をそのまま劇中でも使用!)

草刈正雄は長年、資生堂専属モデルを務めていました。

平選手も草刈正雄に負けておりません。

1988 YZF750 (OWA0)







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