2018/01/13 新年会

ボトル・オブ・ブリテン!







































































































眠れる森の美男子たち








お開きの一本締め







大好評!スピットファイア

「スピットファイア」の広告は、英国人の「ウイット」というやつに溢れ、興味深くあります。

“もう2杯ビールをくれ”(世界でもっとも有名なVサインはチャーチルによるものでしょう)

“わずかにフルーティな味わい、苦みのある後味”(バトル・オブ・ブリテン緒戦のドイツ軍有利、最終的に事実上の敗北となったことを例えているのだと思われます)

日本人がなんでも野球で例えるように英国人はラグビーで例えるようです。

“フランス人はいつも最初の一押しで総崩れとなる”(これは言わずと知れた独仏戦のことで、たったで40日でフランスがドイツに降伏してしまったことを「明るく」馬鹿にしているのでしょう)

ラグビーのフランカーはスクラムから速やかに離脱するポジションですが、イタリアは枢軸国からさっさと離脱し、連合国に寝返ったことを揶揄しているのでしょう。

第2次大戦で英国はドイツに勝ったものの、それはソ連とアメリカという2大国の援護があっての辛勝といえました。「いいトライだったよ」と上から目線の反面、強がりとも採れるのが彼ら流のギャグなのでしょう。


バトル・オブ・ブリテン、ヒトラー VS チャーチル

 1940年5月、ヒトラーはフランス北端のダンケルクに袋のネズミ状態にした40万人の英仏連合軍に対し、あえて攻撃の手を緩め、英国に退却する隙を作ってやります。英国との早期和平を期待し、「貸し」を作ったつもりでおりました。

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングとヒトラー

 しかし、”ブルドッグ”と呼ばれた英首相ウインストン・チャーチルは和平という名の降伏を拒否します。

 結果、1940年7月10日からドイツ軍の英本土への攻撃が開始されました。「バトル・オブ・ブリテン」の始まりです。

 ドイツ軍は緒戦では優位に立っていました。数か月もこの状態が続けば、英国南部の制空権はドイツに奪われてしまうかも知れない、と英軍司令官たちは頭を抱えるほどでした。

ミッキーマウスを愛機にマーキングした
ドイツ空軍のエース、アドルフ・ガーランド

 メッサーシュミット乗りのガーランドは、ゲーリングから「今、必要なものは何か?」と聞かれ、「スピットファイア」と答えたというエピソードを持っています。

ドイツ機来襲!

スクランブル!

ロンドン上空でのドッグファイト

英空軍のパイロットたちは若く、平均20歳でした。

 戦いは予期しない展開となっていきます。

 ヒトラーは、市街地への爆撃は報復による泥沼化を避けられなくなるとして厳禁していました。戦術的にも市街地を破壊するよりも軍事施設を叩いた方が効果が高かったこともあったからです。

 しかし8月24日夜、突如としてドイツ空軍によるロンドン市街への爆撃がありました。(航法ミスで目標を見失った上での誤爆と言われていますが、真相は不明)血の気の多いチャーチルは、ベルリンに報復爆撃を行う命令を下し、8月25日、80機の爆撃機をベルリン市街に向かわせました。

 ヒトラーは、その十倍以上の規模でロンドンへの報復爆撃を行うよう命じます。自らが危惧していた泥沼化が始まったのでした。

出撃前のブリーフィングを受ける英空軍・爆撃機クルー

屍累々のベルリン市街

 この報復合戦はドイツ空軍の好機を自ら捨て去る結果となったのです。ドイツ空軍の攻撃がロンドン市街へ集中している間、英軍は爆撃を受けた軍事施設の立て直しを行う余裕ができ、消耗し崩壊寸前だった英軍は息を吹き返すことになったのです。

燃え盛るロンドン市街

地下鉄構内で夜を過ごすロンドン市民

早朝の牛乳配達

図書館で本を選ぶロンドン市民

珍しいカラー画像(それも2方向から!)

 やがてドイツ軍は成果が出ないわりに消耗の多い攻撃を縮小せざるを得なくなります。10月に入ると英国上陸計画は無期延期になり、結局、計画自体も消失します。これは常勝ドイツ軍にとって初めての大敗でした。

 チャーチルは「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」の有名な演説を下院議会で行い、バトル・オブ・ブリテンに参加した英空軍パイロット3,000人に対して最大の賛辞を送りました。

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